”ずれ”はわたしと世界をほんの紙一枚の薄さで、でも世界からわたしを隔離している
いつから”ずれ”を意識し始めたのだろうか

昨日まで仲良しだった”友達”の態度に後ろめたさを感じた日から?
それとも”家族”が自分とは別の生き物とそう思った日から?
”学校”で褒められる事が決して良い事だけじゃないと知った日から?

だから、わたしはにこにこと微笑んでいるけれど
周りに調子を合わせてはいるけれど、いつも軽い眩暈(めまい)を感じている
何とか表面上で彼らが振舞う人形劇に調子を合わせておかないと
彼らの頭の上につながっている人形繰りの糸が見えそうになるからかもしれないし
ふっと自分の上に糸が見えるからかもしれない

「きゃ、ご ごめんなさいっ」
下級生だろうか小柄な女生徒がわたしにぶつかってうろたえている
「いいのよ、大丈夫だった?」
「あ、は、はいっ***先輩 し失礼しますっ」
女生徒はあたふたとその場から立ち去っていった
『誰だったかしら?わたしの名前を知ってたわ』
”ずれ”のことをぼんやりと考えながら歩いていた私のほうこそ情けない
人の名前を覚え辛いのはいつものことだとしてもすこし世界と距離が空き過ぎている気がする

走り去っていく下級生の眼鏡だけが印象に残っていることに苦笑すると
わたしは自分の眼鏡も掛け替えようかとそう思いついた

そう世界との距離を修正するためにも



学校の近所にあった眼科医院で、測定を受けると私の眼鏡に少し修正が必要といわれた
”ずれ”の影響かしら?
内心で苦笑しながらも処方箋を受け取った私は先ほどの医院が
眼科医から他のスタッフにいたるまでみんな眼鏡を掛けていた事に気がついて
『説得力が有るんだか無いんだか』そんなことを思いながら
医院のそばにある眼鏡店に足を向けた

先ほど眼科医で掛けさせてもらった仮眼鏡のフレームが気になって
そこで扱っているのだと聞いたものだから
どうやらできたばかりらしい眼鏡店を尋ねる気になったのだけれど
先ほどの眼鏡のことを女店員に聞くと彼女はにこやかに
同じデザインの色違いの物とどうやら同じメーカーの物らしい似通った数種の眼鏡を見せてくれた

眼鏡のブリッジの部分にどこか生物的な意匠が採用されているそのシリーズは
なにやら言うメーカーの最新シリーズらしい
鏡の中から私を見返す別の私
眼鏡を変えるだけで、少し世界の見え方も換わるかもしれない
そう思いながら
結局私は医院で掛けた物と同じ物を選んでレンズの研磨をしてもらった

どうぞと女店員から渡された眼鏡を掛けたとき
一瞬蔓(つる)の部分がどこかに触ったのかチクリと軽い痛みを感じたが
次の瞬間にはそれも気にならなくなったし
世界がはっきりと見えた気がして逆に眩暈を感じたものだから
少しふらつくことのほうに不安を感じながら店を出たのだった

足元から陽炎(かげろう)に似た揺らめきがふらふらふわふわと上ってくる気がする
今はまだ初夏、今からこんな調子だと盛夏にはどうなってしまうかしら?
いや揺れているのは私のほう?
世界は新しい眼鏡のせいで見えすぎるほどはっきりと像を結んでいるのだけれど
私の頭の中でなんだか羽虫がわんわん音を立てている

『…ちらに……い!』
一瞬幻聴か?そう思ったが羽虫の音が唐突に頭の中で言葉になった
『…い!…らに…こ…!』
形になった言葉は私の中で意味を持ち、すると私はもう言葉のチカラに逆らえず
もう頭の中では言葉の合唱しか残らなくなって
『こちらに、こい!』
その言葉のままに今はしっかりした足取りで歩き始めていた

今私が立っているのは街中にある雑居ビル
目の前には地下に下りる階段とそして隣にももうひとつ入り口があるようだが
私の中の羽虫は地下へ入ることを促している

そう、早く入らなくちゃ
入り口を入ろうとした瞬間
『そっちじゃないです!』
耳の奥で小さいけれどはっきりした声が聞こえた
だけど私は地下に早く地下に降りなくちゃいけない、そう頭の中の声が言っているのだから
『違います、聞こえるんでしょ、こっちこっち、ああもうお姉さんこっちです!』
ひどく必死だなぁ ぼんやりと思った瞬間に羽虫の音はぴたりとやんで
ラジオのチューニングが合ったように今度は先ほどの必死な声だけが私に聞こえた
『早く早く上がって来てください、下はお姉さんの行くところじゃありません』
あ、そうなのかそれは悪いことをしちゃった
私は素直にそう思うと必死に呼ぶ声が言うとおりにもうひとつの入り口から上っていった

声の言うままエレベーターを操作しながら
このビルそんなに高いビルだったかしら?とそんな思いが頭をよぎる
それにエレベーターホールが2階にあるのもなんだか変で
おかしさがどこかから頭の中に上ってきて私はくすくすと忍び笑いをしている
『8を押して、8です』
なんだか小さい子みたいだ必死さは伝わってくるけどどうも要領を得ないなぁ

声ははっきり聞こえるけれど私の頭の中はなんだかゆらゆら動いている
もっとほかの大事なことを忘れているような気もするけれど
いまはあまり考えることができないみたいだ
だからきっとこのままでいいのだろう

エレベーターはすぐに止まった
8階どころか2階からひとつ上に上がっただけじゃないかしら?
相変わらずふわふわする頭でそんなことを思っていると扉が開き
私は飛び込んできた小柄な女の子に抱きつかれてしまっていた
「よかったぁ、今はここに私しかいないから一生懸命呼んだんですよ」
そうなの?それはありがとう でも一所懸命の間違いじゃないの?
などとつまらない事を思ったとたん私の頭はすっきり晴れて
私は自分が抱き返している女の子が金髪でそして
頭の上に何か不思議なものを乗せていることに気がついた
蜂?なんだか蜂の胴体のよう、まるで大きな蜂がこの子の頭を抱え込んでいるように見える
「お姉さんありがとう、ミヤの声に気付いてくれて」
そういって私を見上げてにっこりと笑ったその少女は青い皮膚、紅い眼
そうして不思議な眼鏡をかけていた

「え、あの み、ミヤ…さん?」
「ミヤでいいです、お姉さん」
「え、ええ…ミヤってどう書くの、それとも宮崎さんとかいうの?
 それともお名前のほうが美也さんとか…」
「えへ、そんなの意味が無いからミヤでいいんです」
「そうなの…?」
もっとほかの質問をしたかったような気がするのだけれど
ミヤと自分を呼ぶ少女に促されるままわたしはエレベーターから出て、
小部屋を抜けると大きな部屋に通された

部屋の中は片側にスクリーンやら操作卓やらやたらと機能的なものが並んでいるが
片側は楕円形の広いテーブルの周りに8脚の椅子が据えられていて
こちら側はラウンジといった雰囲気だ
そしてテーブルの奥側の壁には薄っすらと何かの線刻が彫られたパネルが飾られている
ミヤはわたしをテーブルにつかせると背中の薄い羽根を見せながら
いそいそと何かの飲み物を用意してくれた
「はいどーぞ、あ、身体に悪いものとか入ってませんから、蜂蜜と檸檬しか入ってないです」
普段なら、いやどんな時でだってこんなところで怪しげな格好をした女の子に
差し出された飲み物になど口をつけたりはしないだろう
「あ、美味しそう、頂くわね」
飲んでいる自分が不思議な気がするがこれでいいのだという気もする
檸檬のすっきりとした後口と蜂蜜の甘さが私を落ち着かせてくれたが何かどうも腑に落ちない

「もうすぐ皆が来ますからそしたらお姉さんをご紹介しますね、きっと喜びますよ」
ミヤはにこにこと笑いかけて来る
”友達”や”家族”が私によこす『好意』や『笑顔』には何処となく胡散臭さを感じる私だが
ミヤが私に心の底から好意を寄せてくれているのが判る、何故それが判るのかその事が不思議なのだ
その事を聞こうとしたとき先程の入り口が前触れもなく開いて
ミヤと同じ扮装を身に纏った女性が二人連れ立って入ってきた
ミヤと異なるのは髪形と髪の色、あとは体付きだろうが
紅い眼鏡、青い皮膚とそして身を覆うやはり青いレオタード風の衣裳、そして胸の紋様もミヤと同じ

「遅くなっちゃったね、ミヤ、ん、あれその人は…眼鏡かけてるね?」
「あ、ほんとね、ミヤひょっとして一人でお迎えできたのかしら?」
栗色のショートヘアの娘と緑色のロングポニーの娘が交互に私を見ながらミヤに声を掛ける
「お帰りなさ〜い、ケイさんメイさん ついさっきこのお姉さんがここに来てくれたんです」

「そっか、わたしはケイって呼ばれてる、よろしくね」
ショートヘアの娘がミヤの頭をよしよしとなでながら私に一礼をよこす
「ようこそ、私はメイって呼んでね」
私の向かいに腰をおろしながらロングポニーの娘が私に微笑んだ
「あ、どうも、私は…」と私が自分の名前を言おうとすると
「待った待った」と私と同年代だろうかケイと名乗った娘が私を制止した
「ここじゃね、外での名前は御法度なの 気分じゃ無いでしょ、外の世界を持ち込むのはさ?」
「そうなの適当に区別がついたらそれでいいの」とメイもいう

「そんなことよりも。着替えがまだね?」
「じゃわたしが」とメイが立ち上がるが
「あ、あ、あのあの…」ミヤが何かを言いたげだ
「はっは〜ん、そっか初めてだものね、メイ遠慮してあげなよ」
「えっ? んー、そうね。 じゃミヤお願いしていい?」
「はっはい。 じゃじゃお姉さんっ」
私はよくわからないまま小柄なミヤに抱き付かれるようにしながら彼女の案内で
ラウンジから続く別の扉に導かれた
ケイとメイは私とミヤにいってらっしゃいと手を振るが
彼女たちからも私やミヤに対する好意が伝わってきて、むしろそのことが私を落ち着かせない

そうして少し通路を歩み私はミヤに小部屋に招じ入れられた
「お姉さん、そんな格好だとここじゃ変です。だからお着替えしてください」
そういえばケイが先程そんなことをいっていたけれど…
「着替えって?…あ、これね」
私の目の前にはミヤ達が着ているのと同じデザインのレオタードと丈の長い手袋、
そして薄いヒールの柔らかいブーツが何着も吊るされていた
試着室にしては着るものは1種類しかなく、それに柔らかい床が不思議な感じだ
『そうか、ここはこういうコスプレをして参加する同好会みたいなものなのね
 それなら一人だけ制服姿じゃ変よね』
ぼんやりそう思いながらミヤの手伝いで私も彼女たちと同じものを素肌に身に着ける
これで彼女達との違いは肌の色だけ、あ、彼女達みたいなおかしな頭飾りは着けて…
「お似合いですよぉ、お姉さん」
ミヤにいわれて覗き込んだ姿見の中の私は確かに自分が思い描いていたような
いや眼鏡が形を変えてブリッジから伸びた蜂の胴を思わせるものが私の頭を抱え込んでいて
眼鏡のレンズはミヤ達のと同じ紅い色に変わっていた


                      3

自分の身に何かが起こっている
その驚愕と恐怖に握り締められるより早く
私はミヤに抱き付かれていた
「お姉さん、ミヤの声に応えてくれて本当に嬉しいです」
私も先程と同じく自然にミヤを抱き返してしまう
ミヤがにっこり微笑んでふっとその目を閉じると
私はそれが当たり前だというようにミヤの唇に自分のそれを重ねていた

もちろん私は同性どころか異性とすら口付けを交わした経験はなかったが
そのときはそれが当然のように思われて
そうしてしばらくの間私たちはそのままで抱き合っていたが
やがて私はレオタードやロンググローブに覆われた私の肌がちりちりと静電気を帯びるような
そんな感触に気が付いてミヤとの抱擁を解いた

衣装に手をやる私の様子に気づいたのか
「大丈夫ですお姉さん、皮膚が今の衣装を記憶してるんです、これで次からお着替えしなくても
 変身出来ますからねぇ」
「へぇ、便利ね…ち、違う、そうじゃなくってミヤさんここって一体、
 それにあなた達何故こんなおかしな格好を?いやそんな事より私はどうなって…??」
「ミヤでいいですって」
「いや、あのねそんな話はどうでも」
「どうでもよくないですよぉ、ミヤって呼んでくれなきゃ、やです
 お姉さんは、私から見たらお姉さんなんですから、ちゃあんとミヤって呼んでほしいです」
「じゃ、ミヤここは…」私は言葉を継ごうとするが
「やったぁ、大好きです! お姉さんっ」
私は再びミヤに抱き付かれてしまいそのままミヤに身体を預けられると
二人して柔らかな床に腰を下ろしてしまっていた

今度はミヤは抱擁を解いてはくれず
そのまましなやかな指や柔らかい手のひらをするりするりと私の身体に滑らせる
初めての同性との抱擁や接触それに口付け
それに対する困惑、疑問、動揺、そんなことを通り越して
ミヤの接触は性的とかそういうものでなく、ごく単純に私の皮膚に快美感を与えてくれた
ミヤの身体を覆うレオタードのような生地と私の皮膚や私が今身に着けた衣装と触れ合う感触が
するする、するする、しゅるしゅる、しゅるしゅると心地よい
私はやがてその感覚に囚われてしまいそうになったが
ふとミヤの表情に気が付くとミヤも私に触れ合いながら私よりひどく切なげなことに気が付いた

無言のまま今度は私がミヤの肌と衣装に手を滑らせる
「あ、お、お姉さん、ミ、ミヤがいい気持ちにさせてあげたいのにぃ」
あらそうなの、でもそれにはもう少し冷静な態度が必要ではないかしら?
どこかで冷静なままのわたしがいるが今日の私はそこで止まらないようだ
それに私の腕の中で儚げな声をあげるミヤがなんとも可愛く
私のどこかがもっともっとと言うようで私が緩やかな愛撫を止めないでいると
ミヤはわたしにぎゅっとしがみつき、やがて大きく身を震わせると
そのまま私の胸に顔を埋めて細い嗚咽を漏らした
「や、やっぱりミヤはだめです、お姉さんに、お姉さんに気持ちよくなって欲しかったのに…」
「ミヤ…」
「ごめんなさい、お姉さん、ミヤは初めてこうしてもらった時にとってもとっても良くって
 だからお姉さんにも分けてあげたかったのに…」あとは嗚咽になってしまう

「気持ちよかったわよ?」
「う、嘘です、だってミヤは初めてのときケイさんとメイさんにとってもとっても良くしてもらって
 いっぱいいっぱい…」
ミヤは自分が恥ずかしいことを一人で口走っていることに気づいたらしく
真っ赤になって口をつぐんだ
「気持ちよかったわ、ミヤの手や、身体が触れてくれると
 それにミヤを触るのも気持ちよかったし、ミヤが私のに…応えてくれるのは
 もっと気持ちが良かったわよ」
「ほ、ほんとですかぁ?」
叱られると思っていたのを褒められて戸惑う子供のような顔でミヤが私を見上げる
そんなミヤが余りに愛らしく私はミヤを抱き寄せると彼女の唇をついばんだ

「大好きっ、大好きっお姉さん」言いながらミヤは今度こそわんわんと泣き始めたが
「やれやれ、ミヤらしいね」
「ほんっと、お二人ともお仲がよろしいこと」
「い、何時から…」
何時の間にか立っていたケイとメイを目に止めて今度は私のほうが赤面してしまった

「あー説明してなくってごめんね、この姿でこのビルの中にいるとね
 全部じゃないけど頭の中がお互いにつながってるの」
「え?」
「何考えてるかなんて分からないけれど、感情とか雰囲気はすごく良く伝わるのよ」
「そうそう、ミヤのピンチって。んでフォローにって思ったけどミヤよかったね?いいお姉さんでさ」
「はいっ、はいっ」
ケイ、メイそしてミヤ達の話を聞きながらどうやら自分が大変なことに巻き込まれているらしいと
ようやく私は思い知ったのだが
気が付けば私はケイやメイから優しい愛撫をされていて
そこにおずおずと参加したミヤまでが私の身体に触れてきて
私は今度こそあられもない声をあげながらミヤが言った初めて時の快感の洗礼を受けていた


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