特務刑事マリーゴールド





いずことも知れぬ場所。

暗い闇の中彼女は目が覚めた。

「ここはどこ?」

彼女は首を振り、身を起こして周りを確認しようとした。

だが、その必要は無かった。彼女の躰はすでに立たされていたからだ。

「えっ?」

彼女は次第にはっきりしてくる意識の中で自らがどういう状況に陥っているのかを理解していく。

彼女は十字架のようなものに磔になっているのだ。

両手を左右に開き、直立をしたまま固定されている。その手足はくくりつけられていてびくともしない。

「ど、どういうこと?」

記憶を振り返る彼女。確か残業が長引いて夜道を一人で帰る途中に何か・・・

そこで彼女はそれ以上に重要なことに気が付いた。

本来ならもっと前に気が付かなければならないことだったが、今気が付いたのだ。

彼女は全裸だった。

「い、いやぁぁぁぁ・・・」

何とか身をよじり隠すところを隠そうとするが、がっちり固定されていて隠すことができない。

「ど、どうして? どうしてよ?」

彼女は真っ赤になりながら、羞恥に身もだえする。

そのとき彼女の耳にカツコツという足音が聞こえてきた。

「お目覚めかな?」

しわがれた声。

生理的に嫌悪感を覚えて彼女はぞくっと背筋を震わせる。

「ただのOLではないか。こいつが戦士になれるというのか? ええ、髑髏教授よ」

「心配いらん。こいつはこれでなかなか、学生の頃は全国的にも有名な体操選手じゃったわい」

二つの足音が近付いてくる。

姿を現したのは軍帽と軍服に身を包んだいかつい男と、白衣を纏った小柄でやせこけた老人だった。

「だが今はただのOLだ。体だって鍛えてはいない」

「ほっ、お前さんはすぐに訓練だの鍛えるだのという。持って生まれた素質というものもあるんじゃい」

不満そうな軍服の男に白衣の老人が吐き捨てるように言う。

「これを見い。しなやかな体をしておるではないか」

彼女は心臓が止まるかと思った。

老人が彼女の太ももに触れたのである。

「きゃぁぁぁぁ・・・」

あたりに彼女の悲鳴が響いた。

「嫌われておるようだぞ、髑髏教授よ」

手にした乗馬ムチをもてあそびながら軍服の男がにやりと笑う。

「なあに、慣れておるわい。それにこのナノマシンを注入すれば身も心も変化して、わしの物となるのじゃからな」

白衣の老人・・・髑髏教授と呼ばれた老人はそのポケットから蛍光ピンクに光る液体の入った瓶を取り出した。

「貴様のものではない! 我が犯罪結社毒サソリの一員となるのだ」

軍服の男がムチをぴしりと左手の平に打ち付ける。

「わかっておるわい。これだから軍人とやらは始末に負えん」

「何か言ったか?」

「いや、なんでもないわ。それより始めるとしようかの、黒死大佐よ」

髑髏教授が注射器を取り出し、蛍光ピンクの液体を注射器に移していく。

「い、いやっ。何するの?」

羞恥と恐怖で今まで声も出せなかった彼女が首を振る。

「何、心配いらんて。ちょっと時間が掛かるのが難点じゃが、ナノマシンがじっくりとお前さんの心も躰も

 毒サソリの一員に変えてくれるからの。そうなればお前さんもその喜びに包まれるようになるて」

髑髏教授は彼女の太ももに手を伸ばして優しくさすり、おもむろに注射器を突き立てた。

「きゃあぁぁぁぁぁ・・・」

あたりには三度彼女の悲鳴が響いた。







「おはようございます」

ビルの一階フロアの磨き抜かれた床を歩いていく一人の女性。

すれ違う人々に笑顔で挨拶するその姿は、さながら一枚の絵の如し。

スマートなスタイルをピシッとした紺のスーツに包んだ彼女は若く美しかった。

「おはようございます」

「おはようございます」

彼女とすれ違う人々も次々と挨拶を返してくる。

それはごく普通の会社の朝の日常の光景に見えた。

だが、それは彼女がエレベーターに乗るまでだった。

他のエレベーターとは違う位置にあるもう一台のエレベーター。

彼女はそちらに乗り込むとドアを閉め、一人きりになったところで中央に立つ。

「黒川詩織。認識番号1004856」

彼女がそう言うと周囲から光センサーが彼女の躰を舐めるようにセンシングし、次いでパネルが開くと

彼女は右手を押し付け、カメラに向かって目を向ける。

「認証OK。黒川詩織と認識しました。降下開始します」

無機質なアナウンスが流れ、エレベーターは下へ向かって下がっていく。このビルには地下は無いはずなのにである。

やがてエレベーターはかなりの深さまで降下したあと扉を開いた。

そこは別世界だった。

防弾チョッキに身を包みサブマシンガンを構えて立つSATの隊員がエレベーターの両脇を固め、廊下には

各種のセンサーや自動攻撃システムが備えられている。

「おはようございます。黒川さん」

エレベーター脇のSAT隊員が黒川詩織に敬礼する。

「おはようございます。ご苦労様」

彼女はそう言って敬礼を返すと、廊下を歩き始めた。

廊下の突き当たりは頑丈な両開きの扉になっており、そこにも先ほどと同じように二人のSAT隊員が立っている。

「おはようございます。黒川詩織警部補まいりました」

「おはようございます。確認いたします」

SAT隊員の一人が差し出した手に詩織はバッジを渡し、設置されているパネルに右手を押し付けカメラを覗き込む。

しばらくすると緑色のランプが灯ってOKの合図をする。

「はい、OKです。どうぞ」

SAT隊員がインターコムに話しかけると、両開きの扉が重々しく開いていく。

静かだった廊下に内部の喧騒が漏れてきた。

まるでSFの世界だわ。

ここへ来るたびに詩織はそう思う。

入り口を入ると、そこは左右に伸びるキャットウォークになっていて

手すりの向こう側はワンフロア分下がったホールになっている。

そのホールは床に大きなスクリーンがあり、周囲を囲むように一段高くオペレーター席が広がっていた。

一番奥にはここの司令官席があり、現在は鷹鳥警視長が席に着いている。

太った中年の親父だが、部下の面倒見はいい。

詩織はキャットウォークから続く階段を下り、オペレーター席の後ろを周って、鷹鳥警視長の元へ出頭する。

「おはようございます。黒川詩織、出頭しました」

「ああ、君か。おはよう。結城博士が待っているぞ」

にこやかな表情で鷹鳥警視長が出迎える。

「了解しました。早速参ります」

詩織は敬礼してその場を離れる。栗色の肩までの長さの髪の毛がふわりと舞った。





ここは警視庁異常犯罪特務捜査隊の司令部である。

黒川詩織はこの異常犯罪特務捜査隊の一員であった。

数年前から暗躍し始めた謎の組織犯罪結社毒サソリ。日本を標的とするこの犯罪組織に対抗するために作られたのが

この警視庁異常犯罪特務捜査隊であった。

犯罪結社毒サソリは、特殊なナノマシンにより人間を改造して結社の戦士としてあらゆる犯罪を犯させる。

動物や植物の能力により通常の人間をはるかに超えた戦士(警察では怪人と呼んでいるが)は、

普通の警官では歯が立たず銀行強盗や要人暗殺、毒物の散布などを警察は止めることができなかった。

対処に苦慮した警察は自衛隊とも協力し、SATや機動隊の能力を引き上げて対抗しようとしたものの

毒サソリの怪人の前には焼け石に水で全く歯が立たなかった。

その状態が変わったのが、マリーゴールドの参入だった。

マッドサイエンティストとして一部では名の知られていた黒川博士の発明した戦闘用強化スーツ試作第一号。

その名もマリーゴールド。

発明後に黒川博士は資料とともに謎の失踪を遂げたため、残っているのはスーツのみという状態であるが

この強化スーツの力はすばらしく、毒サソリの怪人に真っ向から勝負を挑むことができるのだった。

残念なことにこの強化スーツは黒川博士によって娘である詩織に合わせて調整されたために、詩織以外の

人物が身に着けることはできない。

だが、詩織は正義を愛する心の優しい娘であり、強化スーツを身にまとって毒サソリに立ち向かったのだ。

警察は大いに喜び、詩織を警察の一員として迎え入れ、マリーゴールドを中心として異常犯罪特務捜査隊を結成して

毒サソリに立ち向かった。

現在毒サソリとの攻防は一進一退であり、毒サソリが絶え間なく送り出す怪人を

マリーゴールドが打ち倒すという状況であった。





司令室から続く廊下を歩き、ラボにやってくる詩織。

「さて、行きますか」

何となく緊張した面持ちをする。扉を開ける手にも力がこもる。

「おはようございます」

勢いよく入ってくる詩織に、ラボにいる面々が一斉に振り向く。

「おはよう、詩織ちゃん。スーツのメンテは終わっているわよ」

メガネをかけ、白衣を身に纏った女性がやってくる。彼女も負けず劣らずのすらっとした背の高い美女だ。

「おはようございます、結城博士」

詩織がやってきた女性に挨拶する。

白衣の女性は結城景子。東都城南大学を優秀な成績で卒業し、科学者としての道を歩み、現在は

警視庁異常犯罪特務捜査隊の科学主任である。

「ありがとうございます。それで・・・どうなんですか?」

詩織はぺこりと頭を下げ、それから上目遣いに覗き込む。

「ふう・・・だめね。黒川博士がどうやって調節したのかまるでわからないの。

 今の状況じゃスーツの解明も量産化もできやしないわ」

結城景子が首を振る。

「そうですか・・・父がせめて資料を残して行ってくれたなら」

「そんなわけでまだ当分詩織ちゃんに戦ってもらわなくてはならないわ。ごめんなさい」

詩織は頭を下げる景子にあわてて首を振った。

「そんな、いいんです、私は毒サソリを赦せませんから。私が戦うことで奴らの野望を挫けるのならそれでいいんです」

「詩織ちゃん、もう、正義感強すぎ。きっと今に私がこのスーツ解明して、量産化して毒サソリをやっつけてあげるからね」

自分と同じくらいの背丈の詩織を抱きしめてすりすりする景子。

うわあ・・・これがちょっと苦手なのよね。

詩織は苦笑する。

「ゆ、結城博士。私パトロールがありますから」

「あん、そっか」

しぶしぶ離れる景子。そばには強化スーツの入ったトランクを持ってきた研究員がにこやかにしている。

「はい、黒川さん。頑張ってくださいね」

「ありがとう。それじゃ行ってきます」

詩織はトランクを受け取ると、ラボを後にした。

 

「黒川さん」

トランクを持ってビルの一階に戻ってきた詩織を一人の青年が出迎える。

スーツにネクタイをびしっと締めた感じのいい青年だ。

「あら、荒木君。迎えに来てくれたの?」

詩織もその青年に挨拶する。

「当然じゃないすか。黒川さんがパトロールするのにこの荒木純一が付き合わなくてどうするんですか」

胸を張って黒川からトランクを受け取る荒木。

「別に・・・どうもしないんだけどね」

詩織は苦笑する。荒木が自分に好意を持っていることを詩織は知っていたが、今は毒サソリとの戦いが優先であり、

彼と付き合う気にはなれなかったのだ。

「あ・・・ひどいなぁ。これでも俺結構役に立っているつもりなんですが」

荒木はトランクを持ち、詩織を駐車場へ誘う。

彼の言葉は間違いではない。事実彼は詩織のサポートとして彼女の活躍を支えている。

「ふふふ・・・当然でしょ。あなたは私のサポート役なんだから」

「それだけですか?」

「そうよ。それだけ」

荒木ががっくりとうなだれるのを見て詩織はまたも苦笑する。

ごめんね、荒木君。毒サソリとの戦いが終わったら、お付き合い考えてもいいわ。

詩織は心の中でそう言うと荒木の車に乗り込む。

「さ、パトロールに行きましょ。荒木巡査部長殿」

「了解であります。黒川警部補殿」

二人が乗り込んだ車は街の喧騒の中に滑り出していった。

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