特務刑事マリーゴールド




薄暗いホールの中央に二人の人間が立っている。

その前には一人の人間が跪いていた。

いや、それは人間と呼ぶにはあまりにもかけ離れている。

滑らかなラインは女性を思わせるものの、グリーンに染まった皮膚の色や右手に肘から先が鎌の様になっていること、

両目が巨大な複眼であることなど人と呼べる代物ではなかった。

「いつもながら時間が掛かったな、髑髏教授よ」

軍服姿の黒死大佐が嫌みっぽく言う。

「ふん、仕方が無いんじゃ。ナノマシンが身も心も変化させるには時間が掛かる。おぬしは悪の秘密結社が

 毎週一体しか怪人を送り出せんのを知らんのか?」

髑髏教授は目の前に居る女性戦士に手を伸ばし、その顎を持ち上げる。

「見てみい。この可愛いカマキリ女を。こいつなら見事あのマリーゴールドを打ち倒してくれようて」

「ああ・・・髑髏教授様・・・」

うっとりとしたように甘ったれた声を出すカマキリ女。

「ふん、そうでなくては困る。カマキリ女よ、まずは銀行を襲撃し資金を調達するのだ。邪魔するものは皆殺しにしろ」

「はい、黒死大佐様。私の鎌ならば金庫などたやすく切り裂きます。たくさんの資金を調達してまいりますわ」

すっと立ち上がり一礼するカマキリ女。もはやかつてOLだったことなど忘れ、身も心もカマキリ女として

犯罪結社毒サソリのために働くことのみを考えるようになってしまっているのである。

「それでは行ってまいります。吉報をお待ちくださいませ」

すらりとした体を流れるように滑らせてカマキリ女は二人の前を後にした。




                       ******




「マリーゴールドキーック!」

戦闘用強化服マリーゴールドを身に纏った黒川詩織、通称特務刑事マリーゴールドのキックが炸裂する。

「グギャァァァァァ・・・」

形よく膨らんだ胸の中心に蹴りを受け、弾き飛ばされていくカマキリ女。

あまりの衝撃に生命活動を絶たれたカマキリ女は

暴走したナノマシンによってその身を破壊され塵となって消滅した。

「ふう、これでまた毒サソリの野望は潰えたわ」

ヘルメットを取り一息つく詩織。

だが、毒サソリの野望はまだまだ終わっては居ない。

アジトのスクリーンで監視虫よりの映像を見ていた毒サソリの幹部二人は歯噛みしていた。

「何だ! あのメガネカマキリの不甲斐無さは! どう責任を取るつもりか? 髑髏教授よ」

手にしたムチを振り苛立ちをぶつける黒死大佐。その目がぎろりと教授をにらみつけた。

「ク・・・ククク・・・クックック・・・」

その目を気にした様子も無く白衣の小柄な老人は含み笑いを漏らしていた。

「む? 何がおかしい」

「いやなに、お前さんの一言でひらめいたのじゃよ」

髑髏教授がニヤニヤしながら振り向いた。しわのよった顔に不気味な笑顔が張り付いている。

「どういうことだ」

「現状では一対一ではマリーゴールドに勝てやせん。ならばどうする?」

髑髏教授が何を言いたいのか首をかしげる黒死大佐。

「昔からの名言があるじゃろが。『戦いは数だよ、兄貴。』とな」

「それはわかるが、ではどうする? 貴様のナノマシンでは素体を選び戦士に変化させるまでとなると

 一週間近く掛かるではないか。数がそろうのには何ヶ月も掛かるわ!」

「それじゃよ。わしらは一体ずつ作ることにこだわりすぎていたのじゃよ」

髑髏教授が首を振る。

「こだわっていたのは貴様だ。クローンではオリジナルより能力が劣るとか何とか・・・」

黒死大佐が怒鳴りつけた。全くこのジジイは癪に障る。

「クローンはその通りじゃわい。そうではなく同時進行で多数の戦士を作り上げるのじゃ」

「む? どういうことだ?」

「メガネじゃよ、メガネ。お前さんは日本人のどれだけがメガネをかけているか知っておるかの?」

「む? 相当な数のはずだが・・・」

「そうじゃよ。中にはメガネっ娘萌えとか言うフェチもおるくらいじゃ」

髑髏教授が得意げに言う。

「それで? メガネが何の関係があるのだ?」

「特別なメガネを用意するんじゃよ。センサーを仕込み、着用者のデータを認識して調整した

 ナノマシンを送り込む特別製のメガネをじゃ」

「む? なるほど」

「そのメガネを視力矯正の道具として素質のある女どもにかけさせるのじゃ。

 一週間もすれば巷には十数人の毒サソリの戦士が生まれることになるのじゃよ。ヒッヒッヒ・・・」

気味の悪い笑い声を漏らす髑髏教授。

「それは面白い。一度に多数の戦士が現れてはマリーゴールドとはいえ対処しきれぬだろう」

「早速作成に掛かるわい。実行面での手配をよろしくな」

「任せておけ。言われるまでも無いわ」

黒死大佐もにやりと笑みを浮かべた。




                      ******




「おはようございます」

いつものようにラボに顔を出す詩織。

「?」

入ったときに詩織は何か違和感を感じた。

いつもなら真っ先に声を掛けてくるはずの結城博士が居ないのだ。

「あれ? 結城博士は?」

「来ていないの。お休みみたいよ」

助手の一人がそう言って詩織のところへやってくる。白衣の女性だ。

「連絡も無いから変なんだけど、スーツのメンテは終わっているから」

そう言って詩織にトランクを渡す。

「わかりました。パトロールの途中にでも寄ってみますね。おそらく毒サソリは来週まで動きが無いと思いますから」

詩織はトランクを受け取り、ラボを後にしようとした。

「その必要は無いわ」

ラボの扉を開けて結城景子が入ってくる。

いつものように背筋をピンと伸ばし、白衣を着こなした姿は詩織から見てもかっこいい。

だが、今日の景子はいつもとは違っていた。

オレンジ色のサングラスをかけていたのだ。

つるのところが普通のメガネに比べて異様に太く、レンズも大きい。

そして何より異様なのはレンズを結ぶブリッジの部分が太く左右に触覚のようなものが突き出ていることだった。

「結城博士・・・そのメガネは?」

詩織が尋ねると景子が振り向いた。

「ああ・・・これ? 素敵なメガネでしょ? これをかけているとなんだかとても気持ちがいいの。

 生まれ変わるようなのよ」

うっとりとした表情で詩織を見つめる景子。詩織はなんだか胸騒ぎがする。

「結城博士、室内でサングラスは目に・・・」

「何! このメガネをはずせって言うの! 冗談じゃないわ。このメガネは私の一部よ! ほっといて!」

心配した助手の言葉をさえぎり、声を荒げる景子。

「そうだ、詩織ちゃんも一度視力検査してもらいなよ。このメガネは視力矯正用なんだって。

 きっと詩織ちゃんにも似合うと思うよ」

「あ、私は別に」

詩織は苦笑した。別に視力は悪くないのだ。

「そう? 似合うと思うけど・・・」

景子はそう言うと興味をなくしたように自分の部署に向かう。

取り残された詩織と助手は肩をすくめてその後ろ姿を目で追った。




夕方、荒木とのパトロールを終えて本部に報告を終えた詩織はラボにトランクを返すために向かっていた。

「こんばんは」

ラボの扉を開ける詩織。

「ご苦労様」

いつものように白衣の研究員が出迎えてくれる。

彼女にトランクを渡しながら、詩織はそっと奥の方を覗いた。

そこではいつものように結城景子がスーツの研究に没頭している・・・はずであった。

「あれ?」

そこに景子はいなかった。

「吉村さん、結城博士は?」

「ああ、今日は早退。気分が優れないんだって」

「あ、そうなの・・・」

詩織は首をかしげる。

今朝といいちょっと普段と違っていたのは風邪のせいだったのだろうか?

帰りにちょっと寄ってみようか・・・

今日は特に何も無かったし、毒サソリはいつも次の行動まで時間がある。呼び出される心配は無さそうだった。

「それじゃスーツをお願いします」

「了解です。お疲れ様でした」

吉村に敬礼して詩織はラボを出た。




玄関のベルを押す。

郊外のアパート。ここに結城景子は一人で住んでいた。

「あれ? 留守かな?」

もう一度ベルを押す。

鍵が開く音がしてドアが開き、中から結城景子が顔を出した。

その顔には今朝と同じように大きなオレンジ色のサングラスがかけられ、心なしか詩織をにらんでいるように見える。

「あ、こんばんは。具合どうですか?」

詩織がにこやかに飲み物と食べ物が入ったコンビニの袋を差し出す。

「帰って」

「え?」

景子の言葉に詩織は面食らう。

「帰って。今いいところなの。邪魔されたくないのよ」

「ど、どうしたんですか? 結城博士。今日の報告もあったから」

詩織が驚いて言葉を捜していると、ドアに添えられた景子の右手が見えた。

その手は肘から肩の方に向かって青白く変色しているように見える。

「博士、その腕はいったい?」

「うふふ・・・私今生まれ変わりつつあるのよ・・・だから帰って。邪魔をしないで」

景子はそのまま強引にドアを閉めてしまう。

「あ、博士」

詩織は締め出され、物言わぬ扉の前で立ち尽くしてしまった。

「いったいどうしてしまったの? 博士に何かあったのかしら」

詩織は来た道を戻らざるをえなかった。




翌日、ラボに結城景子の姿は無かった。

吉村も心配し、電話をかけたが繋がらないとのことだった。

詩織は荒木とのパトロール中にアパートに寄ってみたものの、何度ベルを押しても景子が出てくることは無く

留守にしているようだった。

仕方なく詩織は仕事が終わった後に再度訪れることにしたのだった。




「こんばんは〜。結城博士〜。黒川です〜」

仕事を終わらせるのに意外と手間取ってしまい、詩織が景子のアパートに着いたのは夜の八時過ぎだった。

やはりベルを押しても返事は無く、詩織は昼間したように無造作にドアノブを回してみた。

「!」

以外にもドアノブはすっと回り、ドアが開く。

「結城博士? お邪魔しますよ」

玄関も部屋に続く短い廊下も真っ暗である。

具合が悪くて寝ているのかもしれないとは思っていたが、どうやら無人っぽかった。

「博士に何かあったのかしら?」

詩織は玄関で靴を脱ぎ、ストッキングの脚で部屋に向かう。

部屋はどこももぬけの空で、景子の姿は無かった。

「いない・・・どこへ行ったの、結城博士は?」

居間に戻ってきた詩織は何か手掛かりは無いかと探したが、特に目ぼしいものは無い。

ただ、脱ぐときに引き裂いたかのように破れた服がソファに投げ捨てられており、

テーブルの上には一枚のチラシが置いてある。

「これは?」

詩織はそのチラシを手に取った。

それはスコルピオクリニックという視力矯正を目的とした医療施設だった。

チラシの表面にはメガネをかけたさえない女性が、メガネが必要なくなり美しい女性となっている写真と並べられ

メガネとさよならしませんかと微笑んでいる。

「博士のメガネはここで手に入れたのかな? だとしたら何かわかるかも」

詩織はチラシを持って、部屋を後にした。



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