特務刑事マリーゴールド




駅前の雑居ビルの一つ。

チラシの住所はそこであった。

人の出入りはあまり見かけない。

「ここなんですか? そのスコルピオクリニックとやらは?」

助手席側の窓を詩織の体に寄りかかるように覗く荒木。

「そうみたいね。ちょっと行ってくるわ」

「気をつけてくださいよ黒川さん。トランクは必要ないですか?」

ドアを開けて車から降りる詩織に荒木は心配そうな視線を向ける。

「大丈夫よ。何かあったらすぐ連絡するし、この近くには居てくれるんでしょ?」

「それはもちろん」

荒木が大きくうなずく。

「結城博士の手掛かりだけでも掴んでくるわ。きっとここが関係していると思うの」

結局結城博士は自宅に戻ってこなかったのだ。

「了解です。結城博士が失踪するなんて考えられないですからね」

荒木の言葉にうなずくと詩織は車から降り立ち、雑居ビルに向かっていった。




雑居ビルの薄暗い階段を上がり、二階のフロアにある一室に向かう。

ガラスの扉の向こうは明るく、白い文字でスコルピオクリニックと書かれていた。

詩織は意を決して扉を開ける。ひんやりした空気が詩織を包み込んだ。

「いらっしゃいませ」

受付らしい白衣の女性が出迎えてくれる。

「あ、あの・・・最近視力が落ちてきたみたいで。これ以上悪くなりたくないから・・・」

「はい、かしこまりました。それではこちらにお名前とご住所の記入をお願いいたします」

白衣の女性が差し出す書類に詩織はいつも使っている偽名を書いて提出する。

別に変な雰囲気は無いわね。

周囲の気配を気にしながら、詩織はそう考えていた。

「ええと・・・葛原恵美さん? ご住所は○△×ですね?」

「はい、そうです」

「それではお呼びいたしますので、そちらでお待ちいただけますか?」

白衣の受付嬢はにっこりと微笑んで一角にあるソファを指し示す。

詩織は言われたとおりにソファに座った。

静かなBGMが流れていて気持ちを落ち着けてくれる。

視力かぁ・・・そういえばしばらく検査したことなんて無かったなぁ・・・

マガジンラックから週刊誌を取り出して読み始める詩織。

その様子を天井の一角から監視虫が記録していた。




「十八人目の素体にメガネをかけさせたところだ。現在のところ順調に計画は推移している」

「それは上々。クックック・・・数日後には皆ハチ女として生まれ変わるわい」

監視虫からの映像をスクリーンで見ている黒死大佐と髑髏教授。

そのときスクリーンが週刊誌を読んでいる女性を映し出す。

「む? こやつは?」

黒死大佐が眉をひそめる。どこかで見たような気がしたのだ。

「第一段階はパスじゃな。いや、それどころか久々のヒットかもしれんて」

スクリーンに映し出される情報を素早く分析する髑髏教授。

それによればハチ女としての素養は充分すぎるほどであった。

「まさしくハチ女となるために生まれてきたような女じゃて」

「思い出したぞ」

黒死大佐が声を上げる。

「な、なんじゃ? 大声を上げて」

髑髏教授が何事かと振り向く。

「こいつはマリーゴールドだ。間違いない。警視庁の黒川詩織だ」

「なんと? 本当か?」

「ああ、ヘルメットをとった姿を隠し撮りしたものがある。映し出すぞ」

黒死大佐がスクリーンを操作すると画面が二つに分かれ、片方にマリーゴールドのヘルメットを

はずしたときの黒川詩織が映し出される。

それは紛れも無く同一人物だった。

「うむ、確かに間違いないわい。早速嗅ぎつけてきおったかの」

「どうするのだ、髑髏教授。まだハチ女たちはできておらんのだぞ」

「まあ慌てるでない。この様子ではまだこのクリニックが毒サソリのものだとわかっているわけではないようじゃ」

「しかし、ばれるのは時間の問題だぞ」

「クックック・・・見たまえ黒死大佐、このデータを。彼女にナノマシンを植え付ければ

 すばらしいハチ女になるとは思わんかのぅ」

髑髏教授は不気味に笑みを浮かべた。

「この娘を逃す手はないて。メガネをかけさせればこっちのものじゃわい」

「そう上手くいくかな?」

黒死大佐は苦笑した。




「お大事に」

別室への扉が開き、若い女性が出てくる。スレンダーでモデルのような感じの女性だ。

彼女もうっとりとした表情で結城景子と同じデザインのサングラスをかけている。

「あ、あの・・・ちょっと」

詩織は彼女を呼び止める。

「はい・・・なんでしょうか」

心ここにあらずといった感じで彼女は立ち止まった。何か目がうつろな気がする。

「あなたもそのメガネを?」

「ええ、とても素敵なメガネでしょ? これはもう私の一部。私はこのメガネで生まれ変わるの」

「ど、どういったものなんですか? それは」

何となく不気味さを感じた詩織はそのめがねをじっと観察する。

異様に太いつるからは彼女の耳に向かって何か触手のようなものが伸びていた。

「うふふ・・・あなたもすぐにわかるわ。このメガネのすばらしさが・・・ふふふ・・・」

「それはいったい?」

「葛原さん。葛原恵美さん」

呆けたような表情の女性に詳しく聞こうと思ったところを詩織は受付嬢に呼び出される。

やはりあのメガネは何か変だわ。気をつけないと。

詩織は返事をして診療室に入っていった。




「さあ、こちらに座ってください。これから少し検査をいたします。視力の具合を測るものですからご心配なく」

歯科医が使うようなリクライニングする椅子に座らせられる詩織。

周りには担当の検査技師と思われる白衣の女性と、助手の女性の二人だけ。

そのいずれもが耳に銀色のピアスを付けている。

「葛原恵美さんでしたね? 以前計ったときの視力をご存知ですか?」

「ええと、確か右が1.2、左が1.0でした」

それはまぎれも無い事実である。メガネなどは必要無いのだ。

「はい、わかりました。それでは検査させていただきますね」

検査技師は詩織の座っている椅子をリクライニングさせてゆったりとした感じに斜めにする。

そして天井からぶら下がっている平板な機械を詩織の前に吊り下げた。

「これは?」

「当クリニックは最新の技術でお客様の視力を体内より改善するため全身の検査が必要なのです。

 少しじっとしていてくださいね」

検査技師の言葉に従いじっとする詩織。不審な感じは拭えないが、今のところは問題ない。

検査技師はレバーを握って、天井のレールに沿って機械を動かしていく。

機械は舐めるように詩織の上を通過していった。

「はい、結構ですよ。それでは次に現在の視力を計りますね」

平板な機械は天井に戻され、リクライニングも起こされた詩織の前に両目で覗き込むような機械が用意される。

「そこのレンズのところを覗いてください。いいですか?」

「あ、はい」

結城博士はあのメガネをかけてから態度がおかしかったわ。ということはメガネを調べるしかないわね。

きっと検査が終わったらメガネを渡されるんだわ。その時にかけずに持ち帰ってラボで調べてもらいましょう。

詩織はそう思いつつレンズを覗き込む。

「いいですか。目の前で光がちかちかし始めますからね。じっと見つめてくださいね」

検査技師の言葉にうなずく詩織。そのまま目を凝らして機械の中を見つめていく。

やがて目の前を光が乱舞し始める。

それは最初のうちは何となく不愉快な感じだったが、見続けているうちに体から力が抜けてきて

とても気持ちよくなってくるものだった。

「はあ・・・」

知らず知らずため息をつく詩織。

「うふふ・・気持ちよくなってきたでしょう、葛原恵美さん? いいえ、警視庁異常犯罪特務捜査隊の黒川詩織さんね?」

検査技師の声が詩織の頭に響いてくる。

なぜ・・・私のことを知っているのかしら・・・でも・・・答えなきゃ・・・

「はい、その通りです」

詩織の声がうつろに響く。

「うふふ・・・これはちょっとした催眠装置なの。でもこんなものは一時的なもの。ちょっとした暗示を与えることしかできはしないの」

そうなんだ・・・一時的なものなら安心ね・・・

「でもね、黒川さん。あなたにもメガネをあげるわ。髑髏教授様のナノマシンがいっぱい詰まった素敵なメガネ。

 かければあなたも生まれ変われるの」

メガネ?・・・生まれ変われる?・・・

「さあ、これをかけなさい。今日からこれはあなたの一部よ」

詩織の手に結城も先ほどの女性もかけていたメガネが手渡される。詩織はそれを受け取った。

「はい、検査はお終い。そのメガネをかければ世界は変わるわ。新しい毒サソリの世界にね」

検査技師は機械を遠ざけると詩織を椅子から立たせて手を叩く。

「えっ? あ・・・」

「はい、終了ですよ葛原さん。そのメガネをかければ視力は徐々に回復しますから」

あれ?・・・私眠っていたのかな?

気が付くと詩織は自分の手にメガネを握っていたのだった。

そうだわ、これをかけなくちゃ。

詩織はメガネのつるを広げてそのままかけていく。

視界がオレンジ色に染まると同時に、耳に鋭い痛みが走る。

「あ、痛っ!」

だが、痛みはそこから何かが注入される感じがするとすぐに引いていった。

「どうしました?」

検査技師がにこやかに微笑んでいる。

「あ、いいえ・・・何でもないわ」

そう、本当に何でもなかった。私はただメガネをかけただけ。

それにしてもなんて気持ちがいいんだろう。

メガネをかけることがこんなにも気持ちがいいなんて。

ずっとこのままかけていたいわ。

「出口はそちらですよ。お大事に」

「はい」

詩織はうっとりとした表情で部屋を出た。まるで先ほどの女性と同じように。




「お待たせ、荒木君」

ぽうっとした表情で詩織は荒木の車に戻ってきた。恋する乙女のようなその表情は荒木をどきっとさせたが、

薄笑いを浮かべているのを見ると気味悪くもあった。

「黒川さん、どうでした? あれ? そのメガネは?」

荒木が言うまでも無く詩織はスコルピオクリニックで渡されたメガネをかけている。

「え? ああ、これ? 素敵でしょう? かけているととっても気持ちがいいのよ」

そのまま助手席に座り、ぽうっとしたままで窓の外を見ている詩織。

「結城博士のことは何かわかりましたか?」

「え? ああ・・・何にも・・・」

詩織は荒木の問い掛けにも振り向こうとはしない。

「でも、ここが関係しているんじゃ?」

「そんなことはないわ・・・ここは無関係。さあ・・・行きましょ」

正面を向いたまま詩織は荒木を促す。釈然としないものの荒木は車を発進させた。

はあ・・・気持ちいい・・・このメガネは最高だわ・・・

体の中が徐々にほてってくるのを詩織は感じていた。

「黒川さん、黒川さん」

隣の男が何かしゃべっている。

うるさいわ・・・私の邪魔をしないで・・・私は変わるの・・・私は・・・

「黒川さん!」

「あっ、えっ? 何?」

詩織がハッとしたように荒木の方を向く。

「どこへ行きますか? 結城博士の捜索でしょ?」

結城博士?・・・探すって?

「え? ええ、そうね。探さなくっちゃね・・・」

「所轄の連中にも依頼しましたが、結城博士が毒サソリの手に落ちたとなると大変ですからね」

大変?・・・どうして大変なんだろう・・・毒サソリ・・・毒サソリがどうしたというのだろう・・・

「黒川さん。やっぱり変ですよ。メガネはずしてくれませんか?」

はずす?

メガネを?

このメガネをはずす?

このメガネをはずすなんて・・・

そんなことできるはず無いわ!

「ふざけないで! このメガネは私の一部よ! はずすなんてできるものですか!」

詩織の剣幕に荒木はびっくりする。

「黒川さん?」

「うるさい! 私は降りる。お前など知らない!」

詩織は車が赤信号で止まった隙に助手席から飛び出した。

「く、黒川さん!」

荒木の呼ぶ声もむなしく、詩織は走り出して雑踏の中に消えていった。



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