(5)

「「キャ――――――――――ッ!!」」

夜闇を越えて、悲鳴がハルカの耳に届いた。もしかしたらそれはアヤのものかもしれない、と
心配になったハルカは、悲鳴が聞こえてきたホテルの裏側へと走り出していた。

間もなくそちらの方から走ってくる気配があった。走りながら構えているため、
揺れる懐中電灯の明かりの向こうに人影が映し出される。

「アヤ!」

残念ながらハルカの期待は外れた。
向こうから走ってきたのは彼女と同じ年頃の見覚えのない2人の少女だった。
泣いているようにも、恐怖にゆがんでいるようにも見える必死の形相で、一目散にこちらに駆けてくる。

状況は飲み込めないながらもハルカは、アヤの姿を見かけてないか彼女らに尋ねようと声を掛けた。

「ちょっと待っ……」

しかし2人の少女は、そんなことに構ってられないというように、ハルカが言い終わる前に
その横を駆け抜けていった。

「ちょ、ちょっと〜」

駆けていく二人を呼び止めるようとした後ろから、ブブブ……という音ともに近づいてくる気配があった。

「キャッ!」

その音に振り返ろうとした瞬間、ハルカは何かに突き飛ばされ後ろに転んでしまう。
尻餅をつきながらもハルカは自分を突き飛ばした何者かの姿を見た。
「それ」は確かに空を飛びながら2人を追うように闇に消えていった。

ハルカがしばらくの間呆然としていると、彼女らが駆けてきた方から再びブブブ……という音が聞こえてきた。
その音に辺りを見回すと、彼女のいる脇の林の中を、黄色い姿をした何者かが
先ほどのそれを凌駕するスピードで駆け抜けていくのが見えた。

ハルカはその何者かの横顔に、一瞬ではあるがアヤの面影を見たような気がして、
素早く体を起こすと直感的に「それ」を追いかけていった。





ユカとノゾミは後ろから近づいてくる「それ」を意図的に見ないようにしながら走っていた。
後ろからは激しい羽音だけが追ってくる。

ふと彼女らの前に降り立つ者があった。その気配に2人は思わず足を止めてしまう。
彼女らの目の前に現れたもの、背中の翅や額の触角は先ほど見たカナエの姿をした
「それ」に似ていたが、女性らしいプロポーションのあちこちに黄色と黒のラインの入った
プロテクターのようなものを着けている。
頭は大きなゴーグルのついたマスクのようなものに覆われていたが、唯一露になっている唇は
微笑んでいるようにみえた。

「ひぃっ!」

目の前に現れたもう一体の怪人に2人は思わず体を震わせた。
目の前の怪人は腰につけていた細剣を引き抜くと、彼女たちに向けて素早くそれを振るった。

切っ先が闇を切り裂く一閃とともに、2本の針がユカとノゾミの喉元を強襲した。
2人は痛みを感じる暇も、悲鳴を上げる暇もないまま膝から地面に崩れていった。




「アヤ!」

友人の名を呼ぶ声とともにハルカがそこへ駆けつけてきた。

そこには翅と触角の生えた2体の怪人と、地面に倒れている2人の少女の体があった。
いずれも先ほどハルカの目の前を通り過ぎていった者たちである。

「アヤ!」

荒い呼吸とともにハルカは友人の名を叫んだ。それはそこに立っている2体の怪人のうち、
口元と顎のラインにその面影を残す彼女の親友の名前だった。

「フフッ……」

呼びかけられた怪人が、顔を覆うゴーグルを上げながら笑みを漏らした。
ゴーグルの下から現れたその顔は、気味の悪いメイクを施しているものの確かにアヤのそれだった。

「ア……ヤ……?」

ハルカは今度は恐る恐るその名を口にした。

「アヤ……そんな名はもう捨てたわ……今はインセクター・ニビル様に仕えるインセクトロイド……
 そうね……ビーロイドとでも呼んでもらいましょうか……」

そう言うとビーロイドは手にしていた細剣を元通り腰に収めた。

「そ、そんな……嘘だよね……アヤ……アヤは、アヤのままだよね……」

ハルカは顔を強張らせながらも、笑顔を作りながらそれに呼びかけた。
それは、目の前の現実を受け入れたくないあまりの彼女なりの必死の、
そして最後の抵抗だったのかもしれない。

「信じられないのね、ハルカ……いいわ、あなたもインセクターになったらわかるわ……
 ニビル様の素晴らしさがね……」

ビーロイドが指を鳴らすと、地面に倒れていた少女の体に変化が起こり始めた。
背中がモゾモゾと動き出し服を破るように翅が生え、そして額からはインセクターの証である
一対の触角が伸びる。変化が終わると2人はゆっくりと体を起こした。
そしてすでにインセクター化していたもう1体とともにハルカに襲い掛かろうとした。

「キャ―――!来ないで!」

ハルカはとっさに後ろポケットに入れていたスプレー缶を取り出そうとした。
しかしこの時点で彼女はすでにそれを構えておかなければならなかった。それが彼女の運命をわけた。

ようやくスプレーを取り出し目の前に構えたが、すでに間合いを詰めていた
先頭の蜂少女――元はカナエと呼ばれた少女――が素早い動きでその手を払いのけると
、スプレー缶は弧を描いて闇の向こうへ消えていった。

「あっ!」

ハルカがそれを目で追う隙に、残りの蜂少女――ユカとノゾミがハルカの両脇に周るとその腕を掴み、
彼女の体の自由を奪う。

「ハイ、よくできました」

ビーロイドが軽く拍手をして蜂少女たち動きを褒めながら、拘束されたハルカに近づいてくる。
ハルカの両腕を掴んでいる2人の蜂少女が、歯を噛み合わせてカチカチという音を立てている。
ハチ―――特にスズメバチがカチカチと牙を鳴らす時、それは獲物を見つけたときの警告音である。
この蜂少女たちも捕らえた獲物に我慢できずにそうした行動をとっているのだ。

「おやめ!」

その行動に気づいたビーロイドがピシャリと言い放つと、蜂少女たちはそれを止めた。

「その娘は新たなインセクトロイドの「素体」となるの。ここで殺しちゃ勿体無いわ……」

「そ、「素体」って……私、どうなるの?」

腕を掴まれて動きを封じられたハルカが涙目になりながらビーロイドに尋ねた。

「さぁ……それは、ニビル様がお決めになることだから……とりあえずは、眠ってもらいましょうかしら?」

そう言ったビーロイドは握り締めた右拳をハルカに向けて差し出す。
その右手が徐々に、人間らしい五本の指を持つ拳から、ボクシングのグローブをはめたような
丸い形へと変化していく。それは、蜂の巣だった。

やがてハルカに向けられた蜂の巣の底にある穴から数十匹の蜂が飛び出し、
あっという間に身動きのできない彼女の体にまとわりつく。

「キャッ!何これ……何なのよ!」

飛び回る蜂たちに囲まれた下からハルカが悲鳴を上げた。
払いのけようにも、手を動かすことができないので、体をよじるだけが精一杯だった。
無数の蜂の立てる羽音が、いつ刺されるかわからない恐怖を引き立てる。

「大丈夫、刺したりはしないから……さぁ眠りなさい……私の子供たちの子守唄でね」

ビーロイドがそう言うと、それまでハルカの耳に雑音として届いていた無数の蜂の羽音が
急に心地よい音色へと変化していった。

「……あ、な、何これ……き、気持ち……い……い……」

ゆっくりとハルカのまぶたが閉じていき、やがて掴まれていた腕から力が抜けるとともに
彼女の首がガクンと垂れた。








「ギャ―――――ッ!!」

廊下の向こうから、男性のものと思われる悲鳴が聞こえてきた。
ホテルの中を散策していたサトミは銃を構えたままそちらの方へ向かう。

廊下の突き当たり、ちょうど建物の角に当たるその場所は2、3のソファーと自動販売機が置かれ、
ちょっとした喫煙コーナーとなっている。

ジュル……ジュル……ジュル……

悲鳴が途切れ、そこから何か液体をすする音が聞こえてきた。
人が飲み物をすする音がここまで大きな音を立てることはない。
それは、人ではない何者かがそこにいることを暗示させた。

果たして、「それ」はそこにいた。
黒いコートの背中を突き破って生えた6本の脚で男の体を押さえつけ、顔をその首筋にうずめている。

ジュル……ジュル……ジュル……

何かをすする音はまだ続いていた。
視界に近づいてくるサトミをとらえたその男性は、助けを求めるかのようにこちらへ手を伸ばしたが、
もはや力がないのかその動作はブルブルと震えていた。

次の瞬間、伸ばされた男性の腕が段々と痩せ細っていく。
まるで若木が一瞬にして枯れ木に変わるようにみずみずしさを失っていくその光景に、
サトミは思わず目をそむけずにはいられなかった。

しかし、すぐに彼女は気を取り直し手にしていた銃を構えると、夢中で男性の体を貪っている
黒い怪人に向けて無言で銃弾を放った。

「!」

放たれた銃弾は怪人の体に命中したが、部分的に甲殻化したコートがそれを弾いた。
それに構わずサトミは立て続けに銃弾を放ったが、それらは全て硬い外骨格に阻まれてしまうのだった。

やがて、その黒い怪人が顔を上げサトミの方を振り返った。

「あら、実藤さん。昼間はどうも……」

フードの下に除くその顔はサトミのかつての師・加賀美レイのものだった。
その唇と口の周りは血で赤く染まっている。

「悪いけど今お食事中なの……そんな無粋なものはしまってくださらないかしら?」

「くっ……化け物っ!」

サトミは今度は加賀美の顔を狙って引き金をひいた。
しかしそれさえも、背中から生えた脚の1本により防がれてしまう。

「残念だけど、インセクターの外骨格にはそんなもの効かないわ……」

すでに完全にミイラ化してしまった男性の体を6本の脚から開放し、ゆっくりと立ち上がる加賀美。
身につけていたコートが彼女の体を覆う外骨格へと変化していく。

次の瞬間、サトミの前に立っていたのはインセクター・ニビルレイの姿だった。
6本の脚を阿修羅のごとく広げながらサトミのほうへにじり寄ってくる。

サトミはニビルレイの外骨格に覆われていない部分、人間の肌があらわになっている箇所を狙って
次々と銃弾を打ち込むが、すべて器用な動きをする6本の脚によって打ち落とされていく。

「無駄よ、無駄無駄……」

やがて引き金が空しくカチカチと音を立て、弾切れであることを告げる。

「ちっ!」

諦めたサトミは体を翻して逃げようとしたが、その背後にはいつの間にか5、6匹のアリ人間――
レギオロイドが待ち構えていた。

「ウフフ、ここは獲物でいっぱいだったから、すでに何匹かレギオロイドを作らせてもらったわ……
 さて、逃げられるかしらね……」

背後でそう囁くニビルレイに、サトミは首だけ向けるとニヤリと笑って言った。

「……先生、お忘れですか?私が、武道の有段者だってことを」

そう言うと、気合を込めた叫び声とともにサトミはレギオロイドたちに向かって駆けていった。
ニビルレイは黙って、しかし含みのある笑みを見せながらその様子を見ていた。





「てぇーーーーやぁっ!」

スピードを乗せたサトミの肘打ちが先頭のレギオロイドの腹に打ち込まれる。
ギィ……とうめき声を上げながらレギオロイドの体がくの字に折れると、サトミは続けざまに
その頭を目掛けて上段回し蹴りを放つ。
回し蹴りを食らったレギオロイドの体が横になぎ倒され、廊下の壁に激突する。

サトミは上段回し蹴りを放った勢いを利用し、さらにもう1回転して2匹目のレギオロイドに向けて
再び中段回し蹴りを放つ。ニビルレイのそれに劣る、レギオロイドの外骨格が砕ける音がする。
しかし、サトミの放った肘打ちや蹴りの衝撃はむしろ肉体内部にその衝撃を伝える、
いわゆる中国拳法で言うところの北派と呼ばれる流派のそれを応用したものだった。

すでに2匹のレギオロイドが床に倒れている。
しかし残った者たちが次から次へとサトミの行く手を阻もうと彼女に襲い掛かる。
サトミはそれらの一匹一匹をキレのある技で撃退していくが、ニビルレイはなおも黙ってその様子を見ていた。





しかし、サトミの技がいくら優れていようとも人間には疲労というものがある。
いくら倒しても次から次へとレギオロイドが現れてくるのだ。

やがてキレを失ったサトミの蹴りを、レギオロイドの腕が捕まえる。

「あっ!」

そう思った次の瞬間、掴まれた足を軸にサトミの体が投げ飛ばされる。
かろうじて受身をとったサトミだったが、そこは後ろで見ていたニビルレイの足元だった。

「実藤さん、あなたがいくら強いっていったって、このホテルの宿泊客全員を相手にするつもり?」

冷たい目で見下ろしているニビルレイの視線に気づき、サトミはすぐに立ち上がり構えをとる。

「どういうこと!?」

「言葉どおりよ。人間は私の「蜜」によってインセクター化するのは、あなたも知っての通りよね。
 本当は直接飲ませるのが一番効果があるんだけど、微量でも体内に入れば
 徐々にその効果を発揮していくわ」

「何が……言いたいんですか?」

「じゃあ、その「蜜」を高濃度で空気に混ぜておいたとしたら……?」

サトミはその策略に舌打ちした。その間にも背後には次々とレギオロイドが増えている。

「あの娘たちを私の別荘に誘った時には、外気に混ぜるしかなかったから
 効果は薄かったみたいだけど、ここは建物の中だものね……しかも空調設備も完備……
 簡単だったわ……」

「なんてことを!」

なおも増え続けるレギオロイドにより、背後の逃げ道は絶たれてしまったことを覚悟したサトミには、
目の前のニビルレイをひるませてでもその背後へ逃げるしかなかった。

「ハッ!!」

気合とともに残る全力を込めた正拳付きを、ニビルレイに向けて放つ。
だがその拳はやすやすとニビルレイの腕によって止められてしまった。

「……「蜜」の効果が出るまでには個人差があるわ……
 そろそろ効いてくる頃じゃないかしら?……
 さっきからあなたの周りにもとびっきり濃いのを撒いておいてあげたんだから……」

視線を落とすとニビルレイの露になった秘所からは「蜜」が滴り落ち、カーペットの上に染みを作っている。
拳を受け止められたまま、サトミは床に膝をつく。
その体が悪寒を感じているかのように小刻みに震えているのが、拳を通してニビルレイに伝わってくる。

サトミは心底悔しそうな、そして苦しそうな顔でニビルレイを見上げている。

「くっ……加賀美……先生……」

体を震わせながら、搾り出すような声でかつての師の名前を呼ぶ。

「何かしら?実藤さん」

まるで授業中に生徒の何気ない質問に答えるかのように、ニビルレイは返事をする。

「どう……して……あのとき……あれを……あのファイルを……私に……?」

「ああ、あれね。あれは私の「賭け」だったの」

少しの思案のあと、ニビルレイはあっさりと言ってのけた。

「『賭け』……?」

「そう。あなたなら、あれを読んでも私についてきてくれると思ったから……」

加賀美が失踪する前日、彼女の研究室に呼び出されたサトミは一冊のファイルを手渡された。
それには、彼女がハルカに語った内容――インセクター・ニビルによる恐るべき人類侵略計画――が
書かれていたのだった。

「あれを読んだあなたの顔がどんどん青ざめていくのを見た時は、正直私の負けだと思った……」

ニビルレイは遠い昔日を思い浮かべるかのように宙に這わしていた視線をサトミに向け、微笑みながら続ける。

「でも、結局あなたはこうして私の前に現れてくれた……」

「そんな……私は……ただ……先生を止めようと思って……」

サトミの瞳から涙が溢れてくる。

「過程はどうでもいいの。「賭け」は私の逆転勝利といったところね」

ニビルレイが掴んでいた拳を離すと、支えを失ったサトミの体が流れ落ちる涙とともに
前のめりに倒れようとする。

「おやすみ、実藤さん……」

ニビルレイは赤子を抱きとめるように優しくサトミの体を受け止めると、もうどんな声も
聞こえてはいないその耳にそっと囁きかけた。














かつてのホテルの大宴会場、そこは今、生臭い血肉の匂いと、甘い蜜の香りが
入り混じった人ならざるもののための宴の場と化していた。

あちこちで黒山の人だかり――それはただの比喩ではなく、本当に「黒い」人間たちが群がっていた
――ができ、激しく何かを奪い合っている。
それはニビルの「蜜」によりインセクター、レギオロイドと化したかつての宿泊客たちだった。

彼らは、不幸にも――それを不幸と呼ぶべきかどうかは疑問だが――体質が適合せず
インセクターと化すことが出来なかった人間たちの死体を奪い合っているのだ。
しかもそれは、ニビルにより体中の血液や体液を吸い尽くされ、骨と皮だけのミイラと化した死体だった。
レギオロイドがそれらを奪い合う過程で、腕や脚が周囲の畳の上に散乱する。
なかにはそれに拾ってかぶりついている狡猾な者もいた。

その一方で、気を失った女性をせっせと運び込んでいるレギオロイドたちもいる。
こちらは「素体」としての恩恵を受ける光栄を与えられた者たちである。

ニビル、いや加賀美レイと融合したニビルレイは、畳敷きの床から一段高く作られている
板敷きのステージの上から、満足そうにその光景を見つめていた。
彼女が腰掛けている椅子もまたミイラ化した人間の死体を積み上げて作ったものである。

死体の椅子に座るニビルレイの股間の位置には、膝をつき頭を埋めている全裸の女性の姿があった。
彼女は息を継ぐ暇も惜しいというように、ニビルレイのそこから溢れ出てくる「蜜」を舐め取り
、一心不乱に喉の奥へと運んでいる。ニビルレイがその髪を優しく撫でてやると、
彼女はその熱にうかされたような上気した顔を上へと向ける。

「この「蜜」の味、あなたもお気に召したみたいね。どう、美味しいでしょ?実藤さん……」

ニビルレイの顔を夢から覚めきってないような瞳と至福の笑顔で見上げたのは、実藤サトミその人だった。

「は、はひぃ……」

サトミは呆けたような声を出しながらうなずくと、そのままニビルレイの股間へと顔をうずめ、
再び余念無く「蜜」を舐め始めるのだった。

「あらあら、がっついちゃって……まだまだ他にも分けてあげなきゃいけないってのに……困った娘ねぇ……」

そう言いながらも、ニビルレイの顔は笑っていた。
それは普通の人間が見ればたちまち背筋の凍りつくような笑顔だったが。

「……ニビル様、間もなくインセクトロイド第2号の「羽化」のもようです」

ステージの左下にひざまづいて控えていた、インセクトロイド第1号・ビーロイドが静かに告げた。
その後ろには彼女によって生み出された3匹の蜂少女が同じように控えていた。

「ありがとう、ビーロイド……」

ニビルがビーロイドたちの後ろに目をやると、人間大の真っ白な「繭」がそこにあった。
それは微かに揺れ続けていたが、やがて音を立てながらその表面に徐々に亀裂が入ってゆく。

「楽しみだわぁ……」

我が子を見守る母親の表情で微笑むニビルレイの前で、
「繭」が真っ二つに割れ中から立ち上る「蜜」と同系統の甘い匂いとともに、
1人の少女がゆっくりと立ち上がる。黒を基調に虹彩の模様が入った肌をしたその体つきは
少女というよりは女性らしいプロポーションだったが、肌と同じ虹彩の化粧を施した顔は
あどけない少女の――ハルカのままだった。もちろんその額からは2本の触角が伸びている。

「お目覚めね……アゲハロイド」

ハルカの閉じていた瞼が開いていくのに合わせ、彼女の背中の翅もまたゆっくりと開いていく。
それは体と同じ鮮やかな虹彩を放つ巨大な蝶の翅だった。

「インセクターの因子と人間の――特に少女の生命力溢れる肉体、そして昆虫のDNAの融合体である
 インセクトロイドの実験も成功したことだし、しばらくはここが「巣」でもいいわね……」

ニビルレイは、柔らかな、それでいて冷たさを含んだ声で生まれたばかりのアゲハロイドに命令を下す。

「アゲハロイド……あなたには私と同じ、人間どもの体液を吸って「蜜」へと変える能力があるわ。
 それを使ってどんどん「蜜」を集めてきて。ビーロイドは引き続き「素体」になりそうな少女たちを
 連れてきてちょうだい。もちろん、あなたのその「針」でお友達を増やしてもいいけど、ほどほどにね」

「ハイ……すべては我らインセクターの繁栄のために……」

アゲハロイドと、立ち上がって直立するビーロイドたちが唱和する。

「さぁ、次はあなたの番よ……さて、あなたはどの虫と融合させてあげましょうか……?」

触角の伸び始めたサトミの顔を見下ろしながら、ニビルレイは邪悪な思案に耽るのだった。






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