ここは有数のオフィス街。
平日は沢山の人々が縦横無尽に街を行き交い、皆忙しそうな表情で目まぐるしく動いている。
そんな中心街から外れた場所にそのビルはあった。周りより一回り低い、外装が若干色褪せたビルの横には車庫へと続く大きな入口がある。
そのビルに入っている会社は１社のみだった。
「ＷＨＲ」 ホワイト・ハート・リサーチ社。個人の信頼調査や企業の実態調査を主な業務とした小さな会社である……と世間では認識されている。
だが、この会社が仮の姿で、ビルも中の人間も国に関与した存在である、「ＣＰＴ（City Patrol Team）」という組織であることを知る者は限りなく少ない。
ビルの入口から入り、あまり陽が差し込まない階段を伝い、地下へと下りる。
カモフラージュされた古い部屋の一角にある秘密の通用口を抜けると、外見のビルからは想像もつかないほど眩い光沢と照明を放つ地下通路が延々と広がる。
その通路の中で最も大きなドアを開く。そこには最先端の情報機器に通信網、対侵略組織用の分析施設を設備した広大な司令室があった。
普段は何十人ものオペレーターと行動部隊がその場に待機し、緊張感が張り詰める中、いつ襲撃をかけるかわからない敵に対して、情報網を張り巡らせている。だが、時間は12時過ぎ、昼食時とはいえ司令室が休むことは無いが、殆どの職員は街へ食事に出掛け、当直の職員を残して、司令室は閑散としていた。
比較的静かな空気が支配する中、賑やかな一角があった。オペレーターデスクの1つに人間が集まっている。
「そしたら、急に電話が掛かってきて、デートすっぽかされちゃった……」
「ひど〜い。女の子さんざん待たすだけ待たせておいて、それはないよね」
「行くつもりだったって、言ってたんだけど……。はぁ〜」
「ちゃんと自分の気持ち、言った方が良いわよ」
「そうそう。『私のこと、好きじゃないの！』とか言ってさ」
「そうなんだけど……」
昨日の話で当直の職員たちが盛り上がっている。そこにいるのは女性ばかりだ。全員、茶色とベージュの上着の下に、赤いネクタイを締めて身なりをきちんと整えている。
元々、このＷＨＲ、いやＣＰＴには女性しかいない。男性よりも女性の方が霊的・精神感覚が優れていることと、女性ばかりの会社で侵略組織の情報収集を担う役割を果たしているというとは思われないようにしているという理由が主である。
「何の話？」
女性たちの集まりの背後から凛々しさがある声が1つ掛かる。
「あっ、ひかるさん」
集まる職員たちは皆、声を掛けた女性に視線を向けている。
肩に掛かるほどの碧い艶やかな髪をした女性がコーヒーを片手に彼女たちの様子を眺めている。
その女性を見つめる個々の瞳には彼女への羨望で溢れていた。
彼女の名前は碓井（うすい）ひかる。ＣＰＴの行動部隊に所属している。年齢的には周りの者たちと変わらないが、行動力と洞察力に長け、鳳尚美と共に行動部隊のリーダー格を務めている。ただ、能力的には尚美と変わらないのに「ＣＰＴ行動部隊サブチーフ」という一歩引いた肩書きをすすんで拝命しているのは、彼女の慎ましい性格の表れだろう。
「ひかるさん、聞いてくださいよ〜。また彼氏に約束すっぽかされちゃって……」
「えっ？ あの人？ ……まあ、仕方が無いかもね。Ｘ−Ｆｉｘの科学部門にいるんだから、そう時間は取れないわよ。気長に待ってあげたら？」
「それはそうなんですけど……」
「ただでさえ、私たちは厄介な仕事をしてるんだから、彼氏が作れるだけでも幸せだと思わない？」
ＣＰＴの仕事は情報収集・調査が専門の部署のため、拘束はそれほど厳しくないが、他の部署は開発や臨戦態勢の維持で過酷な勤務状況が続いている。それだけ敵の襲来に対し、油断が出来なくなっていることを示していた。
「それはそうですけど……」
「それに最近、厄介な事件が挙がってきたこともあるし、それも原因じゃない？」
「はあ……」
数日前から奇妙な事例があったことを、ひかるを始めＣＰＴのメンバーは気にしている。
それは街の至る場所から黒い流動体の物体が次々と発見されていることだった。墨のような色をした、粘質のある物体なのだが、現在のところ、それが何であるのかは科学部門の分析が進む中でも未だにわかっていない。
さらに彼女たちが気がかりにしているのは、物体の発見場所の近くに勤務するＯＬが数人行方不明になっていること、そして、その物体に対してＣＰＴが誇るデュナイト感知装置が反応したことだった。
「お互い忙しい部署で仕事してるんだから。時間が合わないのは仕様がないわよ」
「……はい」
彼女は力無く返事をする。内心ではもちろん納得していないが、割り切るしかなかった。
ひかるは自分の腕時計をちらっと見る。
「もうすぐ１時か。そろそろ勤務に戻らないと……。オペレーターがある程度戻ってきたら、行動部隊のみんなはそれぞれの持ち場へパトロールに出発して。帰ってくる娘たちにも伝えておいて」
「はい！」
行動部隊に属する女性たちは明るさの中に凛とした返事をする。
「……それと尚美は新人の千尋ちゃんに付きっきりになってるから、緊急事態以外は私に報告するようにお願いね」
ひかるは指示が全員に届いたことを確認して踵を返す。
その時だった。
「ひかるさん！」
先程の穏やかな空気は一掃された。オペレーターの慌てた大声が緊張感をもたらす。
「どうしたの？」
ひかるは振り返ると大声を上げたオペレーターの傍らに駆け寄る。
「デュナイト反応です！」
「場所はどこなの？」
「それが……」
オペレーターは言葉を詰まらせる。
ひかるは急いでオペレーターの目の前にある画面に顔を寄せた。
「何？ またなの……」
簡略的な街の地図の至る場所で赤い小さな光が点滅している。１週間前ぐらいからこのような反応が度々出ている。そして、反応した場所では全てあの黒い物体が発見されていた。
「反応は12箇所。全て地下で発生しています」
「またデュナイトが動き出したようね。……全員、配置について。いつも通り不審な者がいないかの確認だけすること。積極的に敵と戦わないように。良いわね？」
ＣＰＴは飽くまで情報収集・調査を主にした組織である。簡単な武器は装備しているとはいえ、本格的に戦う能力は備えていない。……仮に戦闘能力を備えていたとしても、敵の存在が不明な限りは勝利を得られる確信は無いのも事実だ。
緊迫感の中、行動部隊は素早く調査機器が装備された車両が保管されている車庫へ向かっていく。
「尚美にも連絡を入れておいて」
そうオペレーターに告げ、ひかるも出動のため、車庫へと走っていった。
ひかるは車に搭載されているモニターを確認しながら、あるビルの近くへ到着していた。
ナビゲーションの自分の車を示すマークの近くで赤い点滅が強い光で繰り返されている。
「ここね……」
車の中で１人呟く。恐怖感と使命感が入り混じった心を整理するかのようだった。
ひかるは基本１人で行動している。本来ならば２人１組で行動しなければいけないのだが、対応力や判断力に長けた者は特別に１人で行動することを許されている。その許可があるのは尚美やひかるを含め、僅かしかいない。
ひかるは通信機のスイッチに手を掛ける。パチッと小さな音が響く。
「碓井です。今からデュナイト反応のポイントに接近します」
『わかりました。ひかるさん、気をつけてください』
「了解」
ひかるはモノバイザー※を装着し、シルバーガンＸ※を装備すると、静かに車を降り、ポイントとなるビルの地下へ向かっていった。
※Rising Red scene EX 参照
ビルの地下はひっそりと静まり返っている。
先程、警察から避難命令が出され、上のビルから人がいなくなっていた。大騒ぎにならないように不発弾が見つかったなどのそんなに大きな話題にならない理由がこじつけられているはずだ。
ひかるは背後を気にしながら、人気が無い地下を進んでいく。
気配は一向に感じられなかった。だが、それがひかるには不気味に思えた。
そして、彼女が大きく広がる地下の中程まで進んだ時だった。
「……あれ？」
突然、ひかるはモノバイザーに手をやり、側部のボタンを頻繁に押し始めた。
「何？ また……」
焦る声と同時にボタンに触れる指の動きが機敏になった。
モノバイザーの内部に映っていたデータが突然消えたのだ。これは現在見ている映像がＣＰＴへ届かなくなったことを意味する。この時点でひかるは完全に１人になってしまったのだ。
「もしもし！ 本部、聞こえますか？ もしもし、本部？」
その呼び掛けに対する返答は無かった。通信機能も麻痺してしまっている。
これは今日初めて起こったことではなかった。あの黒い物体が見つかってから出動する度に起こっている。ひかるだけでなく、全ての行動部隊に発生していること、また本部へ戻った際に装置の故障が全く無かったことから、デュナイト側の妨害電波などが原因だと予想されている。だが、その真相はまだ解明されていない。
「これはまずいわね……。一度戻ろう」
重ねる出動経験が危険を察知した。ひかるはゆっくりと後ろへ下がる。
「ふふふ……」
微かな笑い声が聞こえた。
ひかるは静かに素早く声の聞こえた先へ銃口を向ける。声を出すことは自分の存在を教えることになる。戦闘重視の組織でないため、対処法としてそのように教えられている。
だが、その先に誰もいなかった。
ひかるは緊張した面持ちを残しながら、銃を下ろす。
「ふふふ……」
今度はひかるの背後だった。瞬時で振り返る。
そこには背の小さな女性が１人立っていた。スリットの入ったワンピースを身にまとい、髪は後ろで団子に束ねてある。一瞬、子供と見間違えるほどの幼さがあった。
「誰？」
ひかるはすぐに銃を構える。
「きゃっ！ そんな物向けないでよ。危なっかしいじゃない」
「えっ……」
一瞬、ひかるは呆気に取られる。
「ＣＰＴのお役目、ご苦労様で〜す」
暢気な声とは裏腹に、女性がひかるを見つめる瞳には冷たさがあった。
その瞳にひかるは正気を取り戻すと、再び銃口を向け直す。
「……あなた、デュナイトなの？」
「そうで〜す。私はＳ.Ｓ.Ｂ.のクィンスっていうの。……って、何回同じ紹介をさせる気、ひかるちゃん？」
「えっ？」
ひかるは戸惑う。なぜ、私の名前を知っているの？ 同じ紹介？ 何回もってどういうこと？ たくさんの疑問が彼女の頭に一気に押し寄せる。
「まあ、記憶が消えてるんじゃ仕様が無いか」
「何を言っているの？」
ひかるの銃を持つ手に力が篭もる。
「だから、そんな危ない物、向けないでよ」
クインスの瞳に力が込められる。
「あっ！」
その直後、激しい衝撃がひかるの腕を襲うとその力でひかるの両手から銃が離れていってしまった。
ひかるは慌てて銃が飛ばされた方向へ走ろうとする。
しかし、背後に気配を感じた。ひかるは振り返る。
そこにはかなり遠い場所にいたはずのクインスがひかるのそばにまでやって来ていた。
ひかるは突然のことで尻餅をついてしまった。
「銃になんて用は無いの。私はひかるちゃんに用があるんだから」
クインスは笑みを浮かべている。だが、それは陰を持った笑みだった。
ひかるの心に恐怖感と絶望感が広がっていく。それでも距離を取ろうと尻餅をついた状態のまま、ゆっくりとだが、後ろへ下がっていた。
「あんまりお話ししている時間は無いんだよね。そろそろ、ひかるちゃんに仕事をしてもらわないと」
「仕事……？」
また訳のわからない言葉にひかるはさらに混乱する。
「そう。ひかるちゃんはここまではＣＰＴとしての仕事をしたの。そして、これからはＳ.Ｓ.Ｂ.の一員としての仕事をするのよ」
「一体、何を……？」
「もう……、いちいち説明するの、めんどくさいんだけどな。あのね……」
クインスはひかるの顔へ自分の顔を近づける。その行動にひかるは顔を強張らせる。
「あなたの体はＳ.Ｓ.Ｂ.の戦士としての改造手術を受けているのよ」
「えっ？」
ひかるは目を見開く。衝撃だった。
しかし、ひかるは瞬時に冷静な思考に戻っていく。
……まさか。……待てよ。それは冗談かもしれない。そうだ、冗談に決まっている。私を惑わすための作戦か、何かに決まっている。
ひかるは無理矢理そう考える。
「冗談だと思っているでしょう？」
クインスは無邪気に話す。その言葉は声の軽さとは違い、ひかるの心に重く圧し掛かる。
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