「……ここはどこですか?」
エイミーを睨みつけ、夏帆は叫ぶ。
「ここは私の研究室よ。気を失わせたのは悪かったわ。今、この場所は誰にも知られたく
なかったの。だから、仕方なく手荒な真似をさせてもらったの。そんなに怒らないで」
「しかし……」
「あなたに見て欲しい物があるの」
淡々と語るエイミーに夏帆は調子を狂わせ、怒号を発するタイミングを失う。
その間にエイミーはグラスを一つ手にして、夏帆に近づいてきた。グラスの中には水のよ
うに透き通った無色の液体が入っている。
「これを飲んで」
エイミーは夏帆にグラスを差し出す。
「何ですか、これ?」
「あなたの身体機能を上げる薬よ。勿論、違反薬品は入っていない、私が開発した秘薬で
構成されている。ドーピング検査には引っ掛からないはずよ」
説明を受けながら、夏帆はグラスを受け取る。
しかし、すぐに口を付ける気にはなれない。明らかに何もかもが怪し過ぎる。
中に入った液体を見つめながら、夏帆は固まっている。
「やっぱり……」
夏帆はグラスを突き帰そうと腕を差し出す。
「また惨めな日々を送るの?」
意地悪い言葉に夏帆の腕は精一杯伸びなかった。
困惑の色を深め、じっと俯いている。
また脚光を浴びたい。誰にも負けたくない。新記録を出したい……。
私が一番になるの!
夏帆の体・心があの時の栄華を再び欲している。
伸ばしていた腕を自分の下へ引き寄せる。
「さあ、強くなるのよ」
このエイミーの一言で気持ちが決まった。
再びあの日が帰ってくるなら、悪魔に魂を売ってでも……。
夏帆は意を決する。グラスを上げると、中の液体を一気に口の中に流し込んだ。
その様子を妖しい笑顔でエイミーが見つめていた。
「そう。それで良いのよ」
グラスを持ったまま、夏帆は肩を大きく動かし、荒い息を繰り返す。
「これで……」
夏帆は突然、胸を強く押さえ、苦しみ始めた。
「うっ……」
言葉を出そうとしても、言葉にならない。目を大きく見開き、口を幾度も開閉させる。
「もう効き目が表れ始めたか……。さあ、新里夏帆、S.S.B.の改造戦士に生まれ変
わるのよ」
「ああっ!」
頭を押さえながら、夏帆は苦しそうにその場を立ち上がる。
持っていたグラスはするりと手から離れ、床に落ちて、粉々に割れた。だが、その事を夏
帆やエイミーは全く気に留めない。
「哀れな子。心の闇に取り憑かれて、何も見えなくなっているとは……」
「エイミー様」
クィンスがエイミーの横に姿を現した。無邪気な表情で苦しむ夏帆の姿を見つめている。
「いかがですか、飲用改造薬の効果は?」
「今、効果が表れ出したところよ。この子はもうすぐ人を超越した戦士に変わる」
「えへっ、楽しみ。で、どんな戦士になるんですか?」
「彼女は競泳のトップレベルの選手。だから、それに相応しい生き物の遺伝子を組み込ん
でおいたわ」
「それって、何です?」
「まあ、見てなさい」
二人の注目は再び夏帆に集まる。
その夏帆は未だ呻き声を上げながら、押し寄せる苦しみに反応し続けている。
「うっ……」
夏帆の腕がしっかりと自分の体を抱きしめる。
変化は始まった。
彼女の胸が少しずつ膨らんでいく。大きさとしては一般的なものがある胸が少し目に付く
程、その存在を誇示する様に変わった。
同時に腰はより細くなり、お尻も胸と同じ様に膨らみが増している。
身悶えしている夏帆の体が少し押し上げられる。踵から骨が飛び出すと彼女の皮膚が足全
体を包んでいく。指は消え、ブーツの様な形になると真っ青に染まり、所々から赤い蛍光
色の斑点が現れ始める。
足元が青く染まると同時に夏帆の皮膚も青みを増していく。
更に胸元や手元の皮膚が膨張すると一瞬にして彼女の体の要所を包み込む。包み込んだ皮
膚は更に青くなり、足元と同じ様に斑点が現れる。
「あんっ……」
夏帆の全身に快感が伝わる。先程の苦しみは既に消えている。
直後、腰の周りから透明な触手が無数に生えてくる。触手は太股の付け根辺りまで伸び、
まるで線上のスカートの様に彼女の腰元に位置付いた。
その触手は様々な場所から生える。足元、太股、胸元、肩……。それのどれもが毒々しい
色をした物だった。
「ああ……」
快楽に溺れる無抵抗な表情が夏帆の顔に映る。
艶やかで美しい彼女の髪が薄く青に染まると、その間から数本の触手が顔を覗かせる。
頭部の髪は全てが一つに纏まると傘の様に大きく広がり、周囲から沢山の触手を生える。
正面から見える夏帆の顔は自らの傘によって口元しか見えなかった。その口元も改造薬の
効果からか、その厚みを増し、薄っすらピンク色に染まっている。
もう人間だった夏帆の姿は無い。妖しい色気を持つ、異形の生命体がそこにある。
「あ……、ううっ……、ああ……」
改造された夏帆は頭を押さえ、苦しんでいる。体の変化に伴う快楽が消え、再び薬の副作
用と本来ある理性に感覚を痛めつけられている様だ。
「さて、最後の仕上げをしておきましょう……」
エイミーは付近にあった一つの装置に近づくと、徐に一つのスイッチを押す。
機械の怪しい音と共に、夏帆の周りを透明な円柱が包み込む。
その事に夏帆は構うどころか、気づく様子も無い。
準備が整ったのを確認して、エイミーは別のスイッチに手を掛ける。
すると、円柱の中に光が注がれる。煌々とした、黄色い光だった。
「ああ っ!」
突然、中にいる夏帆が大声で叫ぶ。それはまるで光と呼応するかの様に。
同時に体を大きく揺り動かし、懸命に頭を両手で挟み込む様に押さえている。
「一応、時間が経てば、S.S.B.の改造戦士としての意識が芽生える様に薬を調整し
てあるけど、早く目覚めてもらわないとね」
光は改造薬を促進させる効果を持っていた。
それに耐える様に夏帆は声を上げ続ける。
私は……、私は……。
私は……新里夏帆。人間なの。
私はただスイマーとして輝きたいだけ。
水が好きなだけなの。
…………。
……水が好き……。
水が……潤いを与えてくれる、水が……。
水は……私に力を与えてくれる……。
それは、素敵な力……。
体をいきいきさせてくれるの。私を美しく見せてくれる。水泳の能力も飛躍的に上げてく
れる。
……水が好き。
水が私を生かしてくれる。水と一体になれる……。
そんな私の体が好き……。
……気持ちいい。
水は私の能力を上げてくれる。どんな相手にも負けない力を与えてくれる。……相手を簡
単に消せる、私の力……。
ふふっ、良いじゃない。
何、嫌がってたのかしら。
望みはこの手で掴める。何も文句をつけるところは無いわ。
最高の力を手に入れたの。
そして、この体を授けてくださったあの方に……忠誠を……。
光は静かに止んでいく。
その時には夏帆の叫びは消えていた。
「……成功のようね」
エイミーの操作で円柱は床へ格納されていく。
そこに残っていたのは自らの体を抱き締めたまま、その場を動かない異形の生命体だった。
先程までは新里夏帆という名前の女子高生だった人間と同一の物だ……。
エイミーがその前に進み出る。小さく微笑んだ。
「目覚めなさい。クラゲ女」
エイミーの呼び掛けに生命体の口が小さく緩む。妖しい笑みだった。
そして、その場を立ち上がると、エイミーの前で跪く。
「エイミー様、何なりとご命令を。このクラゲ女、S.S.B.のために全てを捧げます」
新里夏帆がエイミーによりクラゲ女に生まれ変わった瞬間だった。
「早速だけど、政府関連組織襲撃計画を実行するために戦闘員の素体確保に向かいなさい。
これからの時期、海水浴と言って海に沢山の女性が集まる。それを狙うのよ。……確か、
今度インターハイが行われるプールがある所って、海水浴場の近くだったわね?」
「はい。毎年多くの若者が集まるスポットだと聞いております」
「そこなら、質の良い素体が沢山集められるでしょうね。……まさか、インターハイに参
加している選手が人さらいをしているとも思われないでしょうし」
「お任せください。必ずエイミー様のご期待にお応え致します」
「頼んだわよ」
エイミーは踵を返し、クラゲ女の下を離れる。
その間もクラゲ女は頭を下げたままだった。
「あっ、そうだ」
エイミーは急に立ち止まる。
「クラゲ女」
「はっ」
「あなたの後輩、上条香澄もインターハイの時に拉致しなさい。あの子も改造戦士として
の素質を持っている。私はこの目で確かめたい」
エイミーは振り返り、クラゲ女に視線を落とす。
「良いわね?」
「かしこまりました。ですが、エイミー様……」
「何?」
「失礼ながら、一つお願いがございます」
「……良いわ。言ってみなさい」
「はい。……上条香澄は水を得意としない戦士に改造して頂けないでしょうか?」
意識こそクラゲ女のものに変わっているが、新里夏帆の時の欲望や情報は微かに残ってい
る。その気持ちが意とせずに口から出たのかもしれない。
謙遜する声にエイミーは妖しく笑みを零す。
「そうね。上条香澄も水生生物の改造戦士にすると、あなたが目立たなくなるわね。……
考えておきましょう」
クラゲ女は更に深くエイミーに頭を下げる。
エイミーは笑みを浮かべたまま、改造室を後にした。
【 END 】
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