(4)
「さて、今日も始めましょうか」
椅子に腰掛けたまま服部が声をかけると、サナエは自然な動作でベッドに横たわる。
手術を終えて約1ヶ月、リハビリの後毎日続けてきた行為なのだから当然といえば当然のことだった。
同じく、いつものように服部がリモコンのスイッチを入れると室内は心地よい香りに包まれる。
そして、横たわるサナエの頬に手を添えようとしたときだった。
「あの……先生……?」
サナエがおずおずとした口調で言った。
「どうしました、月島さん?何か不安なことでも?」
「私……ここのところ毎晩夢を見るんです……」
「夢……?それはどんな夢です?」
服部は机の上のカルテを取り、そこに何かを書き付けるフリをしながら尋ねる。
「それが……私がリングの上で闘ってる夢なんです……でも、夢の中の私は……いつもの私じゃない……
私とはまるで闘い方が違うんです……あのBWHの連中みたいな、ラフな闘い方を……
しかも楽しんでるみたいなんです……ねえ、先生?……
私、もうあそこでは闘いたくないはずなのに、どうしてこんな夢を見るんでしょうか……?」
室内に気持ちを落ち着かせるアロマが効いているにもかかわらず、サナエの言葉が興奮気味になってくる。
そんなサナエを見ながら、服部は改めてサナエの頬に手を添える。
「大丈夫です……それはあなたの本心が開放されかかっている証拠ですよ。
あなたは本心では再び「レディース・ファイト」のリングに上がりたいと思っている。
そしてそこで思いっきり闘ってみたいとさえ思い始めているのです……」
「で、でも……」
反論しようとしているサナエの左手を右手で掴み、服部は自らの左手を小指を立てて近づけていくと、
半ば強引にサナエの小指を引き起こしながら、自分のそれを絡めていく。
「安心してください……それに「約束」したでしょう?『僕の言うことを信頼してくれる』って……」
「……あ……」
サナエの瞳が見開かれたまま光を失っていき、表情と手足が弛緩していく。
その様子を見て服部が嬉しそうに言う。
「さて今日は……そろそろ退院も近いことですし、今までのまとめと最終確認をすることにしましょう」
それは確かにサナエに語りかけた言葉だったが、当の本人に届いているかどうかはわからない。
「月島さん……いつものように僕の質問には正直にお答えになって、それ以外は僕の言葉を繰り返してください」
「はい……」
「では……月島さん、あなた本当は再びファイターとして「レディース・ファイト」のリングに立ちたいと思っていますね?」
「はい……私は……ファイターとして……再び闘いたいと思っています」
「そして、人々の目を惹く華麗な衣装を身につけて、また人々を興奮させるラフファイトをしたい」
「私は……華麗な衣装を身につけて……人々を興奮させるラフファイトがしたい……です……」
そこで服部は例の赤い液体が詰まった小瓶を取り出し、蓋を開けるとサナエにその中の刺激臭を嗅がせる。
「この匂いはあなたの興奮と、あなたの内に眠る闘争心を高めてくれます」
「は……い……」
刺激臭を嗅いだ途端、サナエの全身が熱くなり肌が徐々に赤みを帯びてくる。
唇からつむぎだされる言葉も、心なしか途切れがちになる。
「ほら、どんどん興奮してきました。興奮を鎮めるためには、どうすればいいんでしたっけ?」
「はい……1つ…は……リング…の……上で……思いっきり……相手…を……痛めつけ…てやる……こと……です……」
サナエは熱にうなされるように、その体をよじる。
それは熱の高まりに比例するように、激しさを増していく。
「そうです。では、もう1つの方法は?」
服部のその質問に対し、サナエは全身の中でも特に太ももと太ももを摺りあわせるように動かす。
「はい……それ……は……アぁッ!」
答える声が艶を帯びて途切れると、服部の方から再び問いかけてやる。
「それは―――?」
「それ……は……アァっ……じ……自分ン……でっ……、慰め……る……こと……です……ンンッ!」
サナエが時折声をくぐもらせながらそれでも最後まで答え終えるのを聞くと、服部は満足そうに微笑む。
「では、今ここでそれを見せてください」
「えっ―――?」
サナエが眉根を寄せたまま戸惑ったような声をあげる。
「そ、それは―――」
「何を恥ずかしがってるんですか?月島さんは『僕の言葉には何でも従う』って「約束」してくれたじゃないですか
―――違いますか?」
「………………」
「それとも―――今のその昂ぶりを収めずにいられるのですか?それならそれで構わないんですが―――
あ、病院内で暴れまわられるのは困りますがね」
冗談っぽく笑いながら、服部は羞恥と高熱のせいで真っ赤になっているサナエに優しく言葉をかけてやる。
「大丈夫ですよ。この部屋は防音が効いてますから、あなたの声が外に漏れることは決してありません。
それに、ここには今僕とあなたしかいません。『僕を信用してくれてる』なら、見せてくれますよね?」
「―――ハ……ハイ……」
額に汗を滲ませながら、サナエは答える。
その言葉でスイッチが入ったように、サナエは自らの手で身につけていた着衣を脱ぎ始めた。
まずパジャマのズボンをズリ下ろし、下着を脱ぐのももどかしい様にその中へ左手をしのばせると、
すでに湿り気を帯びていたそこから液体を含んだ粘っこい音がする。
「あァっ……ん」
その音に呼応するかのように、サナエはくぐもった短いうめき声を漏らし身を反らす。
その一方、余ったもう一つの手で上着のボタンを1つ1つ外していき、形のよい胸が露になるとその手を双丘に這わす。
上と下でそれぞれに手の動きを始めたことで、それを我慢していた時よりも数段激しくサナエは体をよじらせる。
喘ぐ声に、時折荒い吐息が混じる。
服部はその様子を、組んだ手を顎に当てながらニンマリと見つめている。
彼がそういう表情なのはいつものことだったが、果たしてこの光景に笑顔を隠せない男性などいるだろうか。
それほどベッドの上で自慰に耽るサナエの姿は、あまりにも淫らで扇情的だった。
やがてサナエの快感が頂点に登りつめる。
「あッ………あッ……あッ…あァン……んン…………あッ……あッ…あぁぁぁぁぁ―――――」
もはや声をくぐもらせようともせず、一際高い嬌声を上げてサナエは果てた。
「はい、よくできました」
服部は幼児に語りかけるように、潤んだ瞳で彼を見上げているサナエの額を撫でながら玉のような汗を拭ってやる。
その手の動きさえも快感に変わるのか、果ててなおサナエは短く喘いだ。
「おっと、まだ気を失ったりしないでくださいね。
これから、月島さんにとって大事なことを教えてあげなきゃいけないんですから……」
「おめでとうございます。いよいよ退院ですね、月島さん」
次の日、診察室で服部はサナエに右腕の完治と退院を告げていた。
「ありがとうございます、服部先生。これもひとえに先生のおかげです」
サナエは晴れやかな笑顔で感謝の言葉を述べる。
「いえいえ、そんなことはありませんよ。月島さんが最初の「約束」を忠実に守って、僕のことを信用してくれたおかげですよ」
そう言って服部はテーブルの引き出しから一本の封筒を取り出すと、それをサナエに差し出した。
「この中には、とある人の連絡先が書いてあります。
本当はもっと早くに受け取っていたのですが、月島さんの状態を考慮して今までお預かりしていたんです」
「今開けてみてもいいですか」
服部が黙って頷くと、サナエは封筒の中の書簡を取り出す。
それを読み終えたサナエの顔には、驚きと、そして喜びが入り混じった表情が浮かんでいた。
「その方こそ月島さんを本当に導いてくれる方だと、僕は思っています。
それではお大事に―――」
病院を出た足で、サナエはとある場所に向かっていた。
それは先ほど服部から手渡された書簡に書かれていた場所である。
ビルの最上階に上がり重厚そうなドアを開くと、その正面に座っていた人物が振り返る。
「ようこそ、「BWH」へ。月島サナエさん」
部屋に入ってきたサナエを迎えた人物こそ、BWHプロモーター、リサ・ブロンドだった。
サナエは彼女の机に歩み寄ると、瞳を輝かせながら自信たっぷりに言う。
「私を、すぐに闘わせてください!」
「そう言ってくれると思って、すでにあなたに相応しい相手を選んでおいたわ」
すでに机の上においてあった一枚の書類をサナエに向けて差し出す。
そこに書いてあった名前を見た後、サナエはリサに視線を移す。
「それは、あなたが闘いたいと思ってやまなかった人―――そしてその対戦相手は、生まれ変わったあなた自身よ」
そう言うとリサは机の下から、リングコスチュームを取り出しサナエに手渡した。
自分の部屋に戻ったサナエは、姿見の鏡の前でリサから受け取ったリングコスチュームを身につけてみる。
それは、かつて「グラップル・ミューズ」で闘っていた頃の彼女の衣装と基本的なデザインこそ同じだったが、
その時には黄色と白で塗り分けられていたレオタードの中央の白い部分が、黒に変更されていた。
そして脇の黄色い部分にも、昆虫の脚を思わせる黒い模様が描かれている。
手足には、レオタードと同じ黄色と黒で縞模様に塗り分けられたグローブとブーツをはめる。
そして最後に、マスクを被った瞬間、サナエの鼻腔をエスニック料理のスパイスに似た刺激臭がくすぐった。
「あ……」
全てを身につけたサナエは、うっとりとした瞳で眼前の鏡を見つめる。
そこには月島サナエではなく、女王蜂を模した1人のファイターが立っていた。
「あン……」
鏡に映る自分の姿を見ているうちに、彼女は体が熱くなってくるのを感じていた。
そして、コスチュームの上から自分の秘所と乳房にそっと手を伸ばすのだった。
数日後―――某都市にある巨大スタジアム。
場内の空気は本日のメインイベントを待ちかねる観客と彼らの熱気で満たされていた。
前座の数試合が終了した時点で、場内の照明が全て落とされる。
ざわめく会場内、突然スポットライトが中央のリングとそこに立つ黒い礼服姿のリングアナウンサーを照らし出す。
「皆さん、長らくお待たせいたしました。
これより本日のメーンエベント!GMCシングルチャンピオンベルト防衛戦を行いたいと思います!
まずは!」
流暢な口上の後リングアナが左手を振り上げる。
「あーかコーナー!GMCシングル王者〜、ビィーナース、あいかわ〜」
リングアナの呼び出しに合わせて、彼が手を振り上げた方向の花道から爆発音とともに白と青色の花火が上がる。
少しして立ち込める煙の向こうから青と白で彩られたマントをつけたファイターが姿を現す。
先ほどリングアナが紹介したとおり、その人物こそGMCシングルベルト保持者・ビーナス相川こと相川マコトである。
「さぁ〜女王・相川の登場だァ〜。今日も王者の風格たっぷりといった感じで悠々と花道を歩いてきます。
今日の防衛に成功すれば、このレディース・ファイト史上初の10回連続防衛となるわけですが、
そちらの記録の方にも期待がかかりますね、古井戸さん?」
「えぇ〜、ここまで記録がかかってくると大抵の選手がプレッシャーに押しつぶされて自滅してしまうものなんですが、
今日の相川からはそれが感じられませんね。これはひょっとしたらひょっとするんじゃないんでしょうか〜」
「しかしですね。今日の相川にとって一つ不安材料があるとすれば、挑戦者の素性が
まったく分からないということですよね。リングサイドで実況している我々も今のところ、
「特別推薦選手」であること以外まったく何も聞かされておりません」
「噂では謎のマスクウーマン、ということですが、長年解説をしている私にもまったく想像がつきませんです、ハイ」
「それではいよいよ、その謎のファイターの登場です!」
リング上ではマコトがいつも通りの華麗なリングインで観客を魅了し、身につけていたマントを
客席に向かって投げ放ったところである。
それに合わせてリング内には彼女のイメージカラーである青と白の紙テープが弧を描いて次々と投げ入れられる。
「続きまして、あーおコーナー!」
マコトの時と同じく、リングアナが手を振り上げるとスポットライトが逆側のコーナーの花道に当てられる。
「挑戦者!「女王蜂」ハニィー、マースクー!」
口上とともに、花道の両側から黄色のスモークが焚かれその向こうからファイターが姿を現す。
「ハニー・マスク」と呼ばれたその女性ファイターの、蜂の巣を思わせる八角形の模様が
びっしりと描かれた黒いガウンを羽織った姿に、観客たちは歓声を上げながら息を呑むものも少なくは無かった。
おどろおどろしくも激しい音楽と観客の声援の中を一歩一歩ゆっくりと、
まるでファイターというよりもファッションショーのモデルのような足取りでリングに近づくと、おもむろに
ガウンを宙に放り投げる。
そして次の瞬間、場内の誰もが気づいたときには、すでにリングの中には1匹の「女王蜂」が降り立っていた。