Rising Red 〜G-fix Get Going!〜
ニシガハチ様 作
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「千尋!街中に<デュナイト>出現の知らせよ!ここから近いわ、向かうわよ!」

遅い昼食を終え、少しまどろみかけていた私の意識は尚美先輩の声によって不意に現実に引き戻された。

「……わ、わ、わ、はいっ!」

授業中に突然指名された生徒のようにすっかり慌ててしまっていた私は、から元気な返事を返すのが精一杯だった。

「千尋、最近「奴ら」の活動がなかったからって気を抜かないで。
 悪い知らせというのはいつだって不意に訪れるものなのよ!」

「は、はいっ!」

「わかったらすぐに発進して。現場までのナビゲーションは私がするから」

「はいっ!」

尚美先輩の言葉によって、瞬時のうちに睡魔の誘惑を振り払った私は車のキーを時計回りに捻りエンジンをスタートさせた。



表向きは、とある調査会社の現場回りのOL―――
だがその実体は―――世間には公にされていない秘密の政府組織・X-fix。
その一角を担うCPT(City Patrol Team)の一員、それが私・羽根田千尋と、CPTチーフである鳳尚美先輩の真の姿である。



近年、世間を騒がせている大なり小なりの凶悪犯罪、それらの背後にその存在ありと言われているのがSSBと呼ばれる組織である。
もちろん私たちの所属するX-fix同様、彼らの存在もまた世間にはさほど認識されていない。
しかし、認識されていないとはいえ、彼らは確実に存在し、また徐々に私たちの平和な世界を蝕んでいっている。

その侵蝕から人々を護るために、私たち・X-fixの活動があるのだ。
具体的にはこうして街をパトロールし、少しでもSSBの存在を感じたら現場に直行、
本部の人たちが到着するまで現場の状況を的確に伝えると同時に、市民の救助・避難を行う。
微力だが、誰かの支えになる仕事―――それが、ペアを組むことになって初日に尚美先輩から言われた言葉だ。

晴れて公務員となったはいいものの、右も左もわからぬうちにわけのわからない部署と仕事に配置され、
途方に暮れ、いっそ辞めてしまおうかとさえ考えていた私だったが、
先輩のこの言葉に感銘を受けて以来、私の中にこの仕事に対するやり甲斐と誇りをが芽生え始めてきた。

そして同時に、私の中にあった尚美先輩への敬意も一層深まって―――



「千尋、次の信号を右に曲がって」

気がつくと私の運転する車は、商業・娯楽施設の集まる街の中心地まであと少し、というところまで差し掛かっていた。

「……先輩、<デュナイト>ってどんな感じなんですか?」

「そうね……あなたはまだ<デュナイト>の出る現場は未経験だったわね」

「はい。研修の時にちょっと……資料に目を通しただけで……」

『SSBが大規模な作戦行動をとる際、作戦に合致した特殊能力を兼ね備えた異形の「怪物」を送り出してくることがある。
多くの場合、人間とそれ以外の動物を融合させた外見をもつことから「di-unite」、すなわち<デュナイト>と呼ばれるその「怪物」は、
現在までに数例が報告されており、その都度X-fix内に存在する特殊能力を持った者が出動、これの退治にあたっている―――』

それが、私が資料で知りうる限りの<デュナイト>に関する知識のすべてだった。

「……そうね……一つだけ確実に言えることは、今までにあなたが見てきたSSBの下っ端たちとは全く別次元の存在、ってことね」

尚美先輩は、一呼吸置いて少し考え込んだ後にそう言った。

「……別次元、ですか」 今まで、私も仕事の中で小規模の工作活動を行っている、SSBの構成員と思しき不審者を発見しては本部に報告したり、
時には私たちの手で確保することもあったが、そのいずれも正体は生身の人間とほとんど変わらなかった。
―――ほぼ例外なくSSBによって精神を操作され、まったく何も覚えていない、という点を除いては。

「そうよ。資料にもあったと思うけど、<デュナイト>は何かしらの特殊能力と、莫大な戦闘能力を持ち合わせているの。
 それこそ……高層ビルに飛行機を突っ込ませるような行為に匹敵するほどの、ね……
 だからこちらも、特殊能力を持った人間でないと対処できないわけ。私たちじゃ所詮敵いっこないわ」

私は助手席に座る尚美先輩の顔にチラッと視線を写した。
流れていくる窓外の景色を見ている先輩の顔には、どこか物憂げな色が浮かんでいた。
その表情にかける言葉を、私は見つけることができず再び進行方向に目をやった。

「……だから、もしこれから行く現場で身の危険を感じたら、私や本部の支持を待たずに迷わず逃げなさい。
 そのことで誰もあなたを咎めたりはしないから……」

「……はい」

尚美先輩の物憂げな表情の理由に、その言葉で確証が持てた。
<デュナイト>との遭遇により、一般市民だけでなく私たちX-fixの人間も少なからず命を落としたり奴らに連れ去られている。
私が見た資料の末尾にそのような文章が付け加えられていたことを不意に思い出したからだ。
入りたてほやほやである新人の私よりもはるかに多くの場数を踏み、複数の部下を預かる立場にある先輩としては、
そのような形でSSBの犠牲となった同僚や部下に心を痛めずにはおれないのだろう。

「……もうすぐ現場よ。……?…………何かしら、あれ?」

「霧……いや、煙ですかね?」

正面のウィンドウの向こう、どこからともなく漂っている薄黒い煙のようなものが覆っている方向から、
怯え青ざめた表情をしながら多数の人々が一目散に走ってくる。

「わからないけど……千尋、とりあえず車を止めて」

「はいっ!」

本来なら速攻で駐車違反のキップを切られかねない場所だが、先輩の説明によれば「超法規的措置」というやつが働くので問題はないらしい。
それに本来ならその役目を負う警察官たちは、逃げ惑う人々の誘導や整理で手一杯のようだ。
私は車を路肩に寄せて停車した。


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「行くわよ、千尋。銃を出して」

停車するや否や、いつもどおりのテキパキとした尚美先輩の指示に従い、私は後部座席に置いてあるトランクの鍵を開ける。
そこには鈍いシルバー地にX-fixのロゴが入った2丁の銃が入っている。
外見や仕組みこそ普通の拳銃と同じだが、殺傷能力はそれほど高いものではない。
というより、これは元より人を傷つけるためのものではないのだ。

この銃――通称「シルバーガンX(エックス)」の銃口からは、ごく細い針が発射されるようになっている。
標的の体に命中したそれ自身は大したダメージではない。
この銃の本質は、銃のグリップに仕掛けられたスイッチの方にあると言ってもいい。
銃口から放たれた針が命中後、スイッチを入れることにより針が放電する仕組みになっているのだ。

この電撃により、上手く相手の急所に針を命中させることが出来たなら一瞬にして気絶、

そうでなくても相手の動きを数秒間鈍らせることぐらいはできる。

以上が、私がレクチャーで知っているこの「シルバーガンX」に対する知識だ。
同型の模擬銃では気が遠くなるくらい訓練を積まされたが、実際に現物を手にするのも、ましてや目にするのも初めてだ。

「ハイッ、先ぱ……あっ!」

2丁あるうちの1つを先輩に手渡し、続いて自分の分を手にとろうとした時、銃身は夢の中の存在のように私の手をスルリとすり抜けていった。

「す、すいません……」

幸いにして、不器用な形ながらもケースに納まるように落ちた銃を再び拾い上げようとする私の手を、
不意に先輩の手が包み込んだ。

「……震えているのね、千尋?」

尚美先輩に手を握られると、それまでに手先にとどまっていたさざ波が両腕を伝わってくるにいたって、
初めて私は自分の体が震えていることに気がついた。

「……怖い?」

「い、いえ……こっ、これは武者ぶ、ぶる、ぶる……武者震いデスっ!」

震えていることを自覚してしまった途端、それが口の中にも行き渡ったのか舌も呂律が回らなくなってしまった。
こうなってしまうと、否応にも自分自身がテンパってしまっていることに気づかざるをえない。

「……いいわ、あなたはここに残って私のバックアップ、及び本部との中継役を頼むわ」

「そんな……先輩ッ、私も行きます」

すでに助手席のドアに手を掛けた尚美先輩がこちらを振り返って言った。

「駄目よ、今からそんなに震えているようじゃ。そんなんじゃ敵に出会っても、冷静かつ的確な判断はできかねるわね」

「…………」

悔しいが、返す言葉を何も持たないという事実。



「……大丈夫よ、単独で動くからにはあまり危険な行為はしないから。
「モノバイザー」で目標を遠距離からとらえてくるから、あなたはそのデータをまとめて本部に送ってちょうだい」

そう言いながら尚美先輩は「モノバイザー」と呼ばれる、昔の某少年漫画に出てきた敵役がつけていたような、
左目を覆う半透明のゴーグルの、耳の辺りにあるダイヤルを弄った。
程なくして、車に搭載されているカーナビ用のモニターに、私の心配そうに先輩を見上げる表情が映し出された。
この「モノバイザー」は、今回のように現場の生の映像を本部に送信する時などに使用する、いわば簡易通信装置である。
ゆえに、今先輩が見ているものが装置を通じてこの車へ、そしてこの車を中継して本部へ送られるのだ。

「…………」

それでもなお言葉を探しあぐねている私に、先輩は優しく言った。

「心配しないで、これでもあなたの何十倍もの現場を踏んでるんだから。それに……」

そこで一旦言葉を区切った尚美先輩を見ている、きょとんとした私の表情がモニターに映っていた。

「それに、私が戻らないと誰がヒヨッ子のあなたを鍛え上げるって言うの?」

そう言って微笑んだ尚美先輩の表情を見ていると、こちらも自然と顔が緩んできた。

「じゃあ、後は頼んだわよ」

「はい、先輩も気をつけてください」

ドアを閉める音がその言葉への返事代わりとなった。

いつの間にか、私の体の震えは幾分か治まっていた。


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「こちら鳳。ポイント4-13に出現したを追跡中。目標の現在位置を教えてください、ドーゾ」

「こちら羽根田。目標は現在、えーと……ポイント4-13-7を東へ移動中、間もなくポイント4-13-8へ差し掛かる模様。ドーゾ」

私はモニターの左上に表示された尚美先輩の現在位置と、<デュナイト>の現在位置
―――これらはどちらもX-fixの監視衛星によってはじき出されたものである―――とを見比べながら、先輩の指示に対して的確な報告をしていく。
モニターのメイン部分には、相変わらず街の惨状とその上を漂う黒い煙が映し出されている。

「4-13-8……間も無くね。正確にはあとどれくらい?」

「そうですね……あと500(メートル)というところでしょうか?次の角を曲がったところで、目視できる距離に入ると思われます」

私はモニター上で計測できる<デュナイト>の反応までの距離を、先輩に伝えた。

「あの……先輩……」

「何?」

言うか言わまいか迷ったすえ、どうしても言わずにはおれない言葉が私の口をついて出た。

「……気をつけてくださいね」

「わかってるわよ」

どこか軽さを含んだ尚美先輩の声が返ってくると同時に、モニターに映し出された映像の前に進む速度が若干上がった。
先輩は一気に目標との距離を縮めようとしているのだ。

400……300……200……100……

それに合わせるかのように、モニター上での光点の距離もまた縮まっていく。
そして、残り50メートルというところで両方の光点は動くのをやめた。

「こちら鳳。目標補足、ドーゾ」

先輩の声が送られてきた時、モニター上には1体の怪物が映し出されていた。
それが―――私が資料などではなく、実際に(といっても直にではないのだが)目にした初の<デュナイト>の姿となった。
その映像は背後からのものながら、頭の上の大きな瘤上のもの、そして瘤から伸びてうねうねと蠢く触手状のもの、 と
その異形ぶりを存分に伝えるものだった。

「目標、移動を中止。辺りを伺っている様子です、ドーゾ」

先輩の声のトーンが一段低くなる。<デュナイト>に気づかれることを注意してのことだろう。

一方<デュナイト>は、立ち止まって辺りを伺うように、巨大な蛸を乗せた頭を左右に振り回している

「……本…部……より、16号……車へ…………現…状を維持せよ」

先輩の捕らえた映像を送られた本部より指令が返ってくるが、激しいノイズが混じっており辛うじて聞き取れる、といった程度だ。
私はすぐに、本部よりの指令を尚美先輩に伝達する。

「先輩、本部より「現状維持」との命令です」

「了解……あっ!」

何かに気づいたかのような短い先輩の叫びとともに、いつの間にか一点を見据えていた<デュナイト>が腕を振り上げると、
一瞬にしてその腕が彼女の視線の方向へと延びた。
いや、それは正確には彼女の腕ではなく、その腕に巻きついていた蛸の足のような吸盤のついた触手だった。

「いゃぁ――――――z______っ!」

程なくして絹を裂くような女性の悲鳴に続き、何かを引きずる音がした。

やがてその正体がモニター上に映し出される。 それは先ほど<デュナイト>が延ばした触手に足を掴まれ、道路の上を引きずられてくる若い女性の姿だった。
女性は、派手すぎずかつ地味でもない時流に合わせたコーディネートの装いが砂埃にまみれるのも構わず、
マニキュアで彩ったその爪でただひたすらにアスファルトの路面にしがみつこうと必死だった。
しかし、その努力も空しく、美女と怪物の距離は瞬く間に縮まっていく。

「このぉっ!」

女性の体が<デュナイト>まであと数メートル、へと至った時、先輩の舌打ちする音とともに「シルバーガンX」の銃声が響いた。

<デュナイト>はその音に気づいた様子で体をピクリと反応させたが、振り向くことなく女性の体を捕まえていない方の腕を上げる。
一瞬にしてその腕全体を触手が螺旋状に取り巻いたかと思うと、その腕で「シルバーガンX」から放たれた針弾を払い落とした。

「あっ!」

針弾が払い落とされたことに先輩は思わず驚きの声を上げてしまう。
と同時に、<デュナイト>の腕を覆っていた触手が解かれるように元の状態に戻っていくと、
声を上げる暇もないほど驚異的なスピードで一直線に先輩の方へと向かってくる。

「うわぁ――――――っ!」

先輩の叫び声を最後にモニターはただ砂嵐だけを映し出すようになってしまった。

「……ど……した!何があっ……応答せ……よ16号…………応……せよ…………」

反射的にもう1つ残されたいた銀の銃を掴んで車外に飛び出した私の耳に、ノイズの混じった本部からの通信が届くはずもなかった。


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辺りの気温は決して寒すぎも熱すぎもしない。だけど全身の震えは止まらず嫌な汗がどんどんにじみ出てくる。
これから私が向かおうとしている場所、そこがどれほど危険なのか、それに対する本能レベルでの理解による生理反応だ。

それなのに――――――自分でもどうしてここまで来てしまったのかわからない。



―――だから、もしこれから行く現場で身の危険を感じたら、私や本部の支持を待たずに迷わず逃げなさい



あの時の尚美先輩の言葉が頭をよぎる。
その意味を十分に理解していたつもりだった。
そして、つい先刻まではその理解に体を従わせるつもりだった。 だが、私は現にこうして、先輩の言葉と身体の拒否反応に逆らいながらも危険に飛び込もうとしている。

ポイント4-13-7―――尚美先輩が<デュナイト>の反応を追跡し始めた場所。
そしてポイント4-13-8―――<デュナイト>に遭遇し、先輩からの通信が途絶えた場所まであと少しだ。

身体の震えはもはや止めようがないところまできていた。
うっかりすると、手にした「シルバーガンX」が汗で滑り落ちてしまいかねないのを、祈りを込めながら僅かに残った気力で握り締める。

―――先輩、無事でいてくださ……

「……!」

道の上に落ちている、見覚えのあるものに思わず息を呑んでしまう私。
それは、尚美先輩が身につけていた「モノバイザー」と「シルバーガンX」であった。
思わず駆け寄って、「モノバイザー」を拾い上げる。
落下した時の衝撃か、バイザーのガラス製の部分には痛々しいほどのヒビ割れが入っている。

それが、先輩の運命を暗示しているような気がして、思わず私の心は見えない何かにギュッと鷲づかみされる思いがした。





―――んぁっ……はっ………はっ……はぁ…………んんっ……

不意に、私の耳に飛び込んできたのは荒い息遣い、それも女性のものだ。
最初は逃げ遅れた被害者が近くにいるのだと思った。
もしそれが尚美先輩なら―――いや、それが誰であろうと助けに向かわなければ。
そう思うと、自然に足が前に出た。

荒い息遣いの聞こえてきた方へ、建物の角からひょいと顔を出す。
そこにあった光景は、私の想像を遥かに超えたものだった。



道路上に、コールタールのような黒い液体が広がっている。
それは辺りにも飛沫が飛び散っており、「ブチ撒けた」という表現がピッタリだった。

その粘性のある黒い液体の水溜りの中で、2体の人の姿をした真っ黒な「何か」が蠢いていた。
顔以外をピッタリとした黒い布で覆った黒子のようなその姿は、どちらも体格から女性だということがわかる。
2人の黒子は黒い水溜りの中で、上半身だけを起こし寄り添うように身体を合わせている。

いや―――最初は真っ黒でよくわからなかったが―――黒く染まった腕でお互いを抱きすくめめ、黒く染まった肌の上を丹念に撫であっていた。
黒い掌が同じく黒い肌の上を滑る度に、まだ黒く染め上げられていない顔が上気し、口からは艶のある声が漏れる。



「…………はっ!」

その光景に一瞬呆気に取られかけた私が息を呑んだのは、2人の後ろに悠然と立っている異形の存在に気づいてしまったからだ。
両腕から伸びる触手が地面に広がった黒い液体を僅かながらに掬い取り、それを黒子たちの体に垂らしていく。
糸を引いて滴る黒い液体が、女性達の黒い肌の上に黒い筋を作ると、そのたびに彼女達は小さく体を震わせ身を捩り、
その動きによって黒い筋が予想もしえない曲線を描いてやがて地面の黒い水溜りへと還っていく。

その様子に思わず見入ってしまっていた私は、すぐに自分の迂闊さを後悔させられることになる。
咄嗟にその身を建物の陰に隠そうとしたときには、すでに異形の持つ人間以上の感覚がそれよりも早く私の気配を捉えてしまっていた。

「ひっ……」



期せずして視線が
―――といっても、<デュナイト>の顔の上半分には巨大な蛸のようなものが被さっているため、彼女の視線の行方などわからなかったが―――
合ってしまい、私の口からはしゃっくりにも似た怯えの声が飛び出てしまう。

「蛇に睨まれた蛙」というのはまさにこういうことを言うのだろう―――
私の両足は今まで以上に私の言うことを聞かなくなり、程なくしてそれは全身に伝わっていく。
まるで首から下の私の肉体が一斉に反乱を蜂起したかのようだった。
同時に、私の頭のてっぺんからは血液が音を立てて急速落下していくのがわかる。
すっかり血の気が引いて空っぽになってしまった頭の中では、20数年の人生において最大級の音量で非常警報が鳴り響いているのだが、
私の体の反乱は相変わらず続いており、一向に避難しようという素振りをみせてはくれない。

「あ、あ、あ、あ…………」

さっきからガチガチと鳴り続ける歯の奥からは、吃音しか出てこない。
そんな私を見ていた<デュナイト>は、唇の端を吊り上げてニヤリと哂った。
それは―――まるで当日まで隠しておかれるはずだった両親からのクリスマスプレゼントを見つけてしまった無邪気な子供のように。

ふと、彼女が両腕を振り上げた。

「ひぃっ……!」

蛸女の両腕に巻きついた鞭のような触手が、空気を切り裂いてこちらへ向かってくる
―――そう思った私は、咄嗟に両腕で頭を抑えながら身を引いたが、2本の触手が標的としたのは私の体ではなかった。

「…………?」

恐る恐る両腕を下ろし怪物の方を見やると、彼女は両腕のものとその両足にも巻きついていたもの―――計4本の触手を解放し、
黒い水溜りの中でお互いの体を擦り付け合っていた2人の女性の体を羽交い絞めにするように巻きつけていくのが見えた。
4本の触手の巧みな動きによって引き剥がされてなお、彼女たちは運命に引き裂かれる恋人同士のように名残惜しそうにお互いに向かって両腕を伸ばしていた。

黒く染まった肌に触手を巻きつけられた彼女たちの体は少しの間宙を舞った後、ストンと地面に降ろされる。
だが、その膝に力は入っておらず、ガクリとよろめきかけたのを触手が支えてやる。

2人を地面に降ろした怪物は、触手の巻きついていない右腕をゆっくりと上げこちらへ向かって人差し指を突きつける。
それまで呆けた表情で黒く濡れた路面を見つめていた2人だったが、怪物の腕の動き、その指の示す先へと視線を移すべくゆっくりとその顔を上げる。

その時になって初めて、ようやく私は彼女らの顔をはっきりと確認することができた。

まだ、体と同じ色には染まりきっていない生身の2つの顔。
その1つは、先ほど先輩から送られてきた画像で蛸女の触手に捕らえられ泣き叫んでいた女性。
そしてもう1つは―――――――――鳳尚美先輩、その人だった。


To be continued...
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